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香偈でつながる日本仏教 ― 「戒香の四句」は『行事鈔』の一文(1/2ページ)

融通念仏宗法覚寺住職 山田陽道氏

2016年9月16日
やまだ・ようどう氏=1972年、大阪府八尾市生まれ。龍谷大大学院文学研究科仏教学専攻博士課程満期退学。融通念仏宗教学研究所元研究員。論文に「『香偈』史考」他。
勤行の始めに唱える「香偈」の起源は「香讃」

私たち融通念佛宗の勤行は「戒香定香解脱香 光明雲台徧法界 供養十方無量仏 見聞普薫証寂滅」という「香偈」の文を唱えるところから始まる。この「香偈」について調べていくと、日本仏教における宗派を横断した様々な関わりが見えてきたのでここで少し紹介したい。

浄土宗系は善導の『法事讃』出典の文

勤行の冒頭に「香偈」を唱える最も代表的な宗派は浄土宗であろう。そして西山浄土宗や時宗でも、浄土宗を踏襲した同じ勤行の作法が用いられている。これら浄土宗系宗派の「香偈」では、善導の『法事讃』を出典とする「願我身浄如香炉 願我心如智慧火 念念焚焼戒定香 供養十方三世仏」の文が一般に使われている。

ここで注目したいのは、時宗にあっては、勤行の冒頭にあって浄土宗で「香偈」と呼ばれるこの同じ文を「焼香讃」と呼んでいることである。時宗の経本でこの「焼香讃」という語を見た時に、私は大きな衝撃を受けた。黄檗宗では勤行の始めに「香讃」を唱えることが習わしとなっていることを以前から知っていたからである。

調べてみると福井文雅博士がこの「香讃」について研究されており、勤行の始めに「香讃」を唱えるという勤行作法は中国大陸系の仏教寺院で一般的に見られる様式であることがわかった。江戸時代に中国大陸からの渡来僧が中心となって開かれ、中国仏教の勤行作法を直接に受容した黄檗宗では、今でも福建語にならった漢字の読みで勤行の冒頭に「香讃」を唱えている。さらに調べていくと、浄土宗でも現在の勤行の形式が成立していく草創期には勤行の始まりを「香讃」とする例が見受けられた。浄土宗内で「香讃」を取り入れた最初の人物と見られる、法然院の忍澂(1645~1711)は黄檗の独湛(1628~1706)と親交を深くしていたことも文献から確かめられた。これらの事実から、「香偈」から始まる日本仏教の勤行作法は、中国仏教の「香讃」を由来とすることがほぼ明らかとなった。

ただ、浄土宗では「香讃」の文を取り入れることはなかったようである。それは黄檗の「香讃」(冒頭で読まれる「爐香讃」と呼ばれる文は「爐香乍爇(るーひゃんつぁぜ) 法界蒙薫(ふぁきゃいむんひん) 諸佛海會悉遙聞(ちーふはいふいしーやううん) 隨處結祥雲(すいちゅけーちゃんいん) 誠意方慇(ちんいふゎんいん) 諸仏現全身(ちーふへんちぇんしん)」とルビが振られている)が福建語の読みであるのと、福井博士の研究によればこの散文体の文言は正統な仏教典籍からの引用ではないことが理由と考えられる。

忍澂は、元禄期に編まれた『浄土諸回向宝鑑』(『宝鑑』)の中に併記されている、前記の戒香から始まる四句(「戒香の四句」)か願我から始まる四句(「願我の四句」)かのどちらかを採用したようである。やがて浄土宗内では、教義上の理由もあってか「香偈」の文として「願我の四句」が主唱されるようになった。それを避けるようにして融通念佛宗では「戒香の四句」の方を「香偈」の文として使用し、現在に至る。

同様に「香偈」に続いて唱える文についても、融通念佛宗では浄土宗で一般的な「一心敬礼」から始まる「三宝礼」でなく、「我此道場如帝珠 十方三宝影現中 我身影現三宝前 頭面摂足帰命礼」を唱えている。

『宝鑑』には「三宝礼誦文」として「一心敬礼」から始まる文と「我此道場」から始まる偈文の両方を記載している。つまり、融通念佛宗の勤行作法は浄土宗の「香偈」「三宝礼」に依りながら『宝鑑』を参照し、浄土宗では一般的ではない偈文を用いて成立したと考えると説明がつくのである。

「香偈」の成立と展開

「戒香の四句」の偈文について調べてみると、それがもとは中国唐代の僧、道宣(596~667)撰『四分律行事鈔』(『行事鈔』)にある文であり、その註釈である元照(1048~1116)撰『行事鈔資持記』にはその文脈からこの「戒香の四句」の偈文を「香偈」と呼んだことが確認できた。大正蔵経の中で「香偈」の文として確認できるのはこの偈文が唯一である。

ここで「戒香の四句」の成立と経過についてはいくつか混乱があるようなので、少し整理しておきたい。「戒香」から始まる偈文の大正蔵経における最も古い例は『行事鈔』にある「戒香定香解脱香 光明雲台遍法界 供養十方無量仏 見聞普熏証寂滅」の文である。『行事鈔』を著した道宣はこの文を「華厳に云わく」と記している。しかし、この四句は華厳経系の諸経のどこにも見当たらない。そのことによって、高崎直道博士も「『華厳経』に依るという意味はいま一つ明らかでない」と指摘されている。

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