日本人の「列島的宗教性」 ― 豊かな風土が生んだ「多神教」(2/2ページ)
思想家・凱風館館長 内田樹氏
人間に対してフレンドリーな自然、母性的な大きな包容力を持つ自然の中で生きてきたことは日本人の宗教性に決定的な影響をもたらしたのではないかと私は考えている。列島住民たちは自分たちのことを、単一の神が設計図に基づいて計画的に創造した「被造物」であるというふうには考えなかった。それよりも、山河草木至るところに住まう天神地祇たちが気前よく贈与してくれる様々な天然の果実を享受する「被贈与者」として自己認識した。たぶんそうだと思う。だから、本邦における信仰は発生的には「贈与」を促す儀礼、「贈与」に感謝する儀礼というかたちを取った。そして、その贈与の多様性に応じて、感謝を示す儀礼も、その対象も変わった。漁撈の民は豊漁をもたらす「海の神」に感謝し、狩猟の民は獲物をもたらす「山の神」に感謝し、農耕の民は豊作をもたらす「地の神」に感謝する。風土の例外的な豊かさが列島的「多神教」を生み出したのではないか。私はそんなふうに考えている。
もう一つこの包容的自然がもたらしたものがある。「習合」というソリューションがそれである。
近年のDNA研究によって、日本列島には3回大きな移住者の流れがあったが、その三つの集団のすべてのDNAが現代人に伝えられていることがわかった。つまり、後から侵入した集団ともとからの原住民とは、互いに殺戮したり、敗者を列島外に放逐したりせず、おそらくは言語も宗教も食文化も生活習慣も違うままに共生し、血を混ぜ合わせたということである。
そういうことが列島史上2度あった。1度目はたぶん偶然である。見知らぬ小集団同士が出会ったときに「白黒をつけずに、折り合いをつける」という戦略がたまたま採用された。それが成功した。その成功体験があまりに劇的だったので、それが「種族の知恵」として集団的に継承されることになった。私はそんなふうに想像している。
先日スイスから来たジャーナリストに「日本の宗教の特殊性」を問われて、私は「神仏習合」と答えた。その答えの意味が彼にはうまく呑み込めなかったようである。もちろんヨーロッパにもミトラ教の聖堂跡にキリスト教の教会を建てた場所があったり、ケルトやゲルマンの儀礼をキリスト教の祭礼に仕立て直した例はあるけれど、修験道のように「ご神体」と「ご本尊」を二つ並べて、一方には祝詞を上げ、一方には読経するというような堂々たる2宗教の混淆は彼の地ではまず見ることがない。
おそらく6世紀に仏教が到来したときにも、列島住民たちは外来の体系的で論理的な宗教を採用して、土着の宗教を棄てるということをせず、両者を平和的に共存させようとしたのである。「習合」させればなんとかなるという種族の経験知をここにも適用したのである。
神社に初詣をし、キリスト教の教会で結婚式を挙げ、仏式で葬式を営む「ふつうの日本人」を「無神論者」とか「宗教的に節度がない」となじる人がいるが、それは話の筋目が違うと私は思う。これこそすぐれて日本的な信仰のかたちなのである。
峻厳な宗教的規範に律されなくても生きていけるくらいに穏やかで多産的な自然環境に恵まれ、「習合」を成功体験として種族的に記憶してきた人々がこのような信仰のかたちを選択したのは歴史的必然である。別に世界に向かって「私たちを見習え」と誇示する必要はないが、かといって「ローカルな信仰ですみません」と恥じ入ることもない。私たちの祖先はこのような信仰のかたちを選んだ。それを私は受け継ぎたいと思う。
私は朝は道場の神棚に一礼して般若心経を唱え、昼はユダヤ教の時間意識についての論文を書き、夜はイスラーム学者と中東情勢について語り合うというような生活をしている。自分のうちに列島的宗教性が息づいているのを私は感じる。