児童養護施設の現場で思う ― 子育てに大人は当事者意識を(1/2ページ)
児童養護施設光明童園園長、浄土真宗本願寺派西念寺衆徒 堀浄信氏
「私には、親は死んでいないと思ってたけど、いたんだね、仏の子どもだもんね、良かった」。小学2年生のA子ちゃんが、施設に隣接する寺の本堂で法話を聴いた後に言ってきた。私は胸がいっぱいになりながら、「そうだね、良かったね」と答えた。
児童養護施設とは、児童福祉法第41条に「保護者のない児童、虐待されている児童その他環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設とする」とされ、全国に595カ所あり、2万8831人の子どもが生活を送っている(2013年10月1日現在)。
その多くの施設が昭和20年代、戦争により親や家をなくした子どもたちを支援するために創設されたが、現在は、「児童虐待」「親の精神疾患」等の入所理由が多くなり、自閉症スペクトラム等の「障害等のある子ども」の入所も増えている。私が園長を務める熊本県水俣市の光明童園でも、約7割の子どもが何らかの虐待を受けており、約3割は障害等のある子どもである。
虐待を受けた子どもの傾向として、暴力や暴言、放任等の環境におかれ「虐待を受けるのは自分のせいだ」と思い込むため、自己肯定感が低く、自分を大切と思えないために他人を大切とは思えず、暴力等による好ましくない関係性をとりやすい等があげられる。
また、障害等のある子どもの傾向として、環境の変化や音等の刺激に弱かったり、こだわりが強かったりするため、コミュニケーションをとったり、決まりやルールを守ることが苦手である等があげられる。
こういった様々な課題を抱えた子どもたちへの支援を行うために、施設では様々な取り組みが行われている。
当園でも、地域の民家でより家庭に近い6人程度の少人数の落ち着いた雰囲気の中で特定の職員とその子の状況に応じた個別的な支援を行う「小規模ケア」や、子どもの生い立ちの整理を行い、自己肯定感を養う技法「LSW(ライフストーリーワーク)」等を行っているが、その根底にあるのは、「受容」である。
大人はつい「子どもを変えよう」としがちであるが、まずはその子の存在をそのまま認め、受け入れ、「あなたは大切な、愛されるべき存在」と、言葉や雰囲気で伝えていく。例えば、子どもから暴言を受けた際は、「そう言いたくなるくらいのきつい思いなんだね」と、始めにその思いを受容した上で指導していく(Yes-But法)。
中学2年生の時に、ありとあらゆる酷い虐待を受けて入所し、様々な問題行動を起こし、職員を困らせたB子さんが、少しずつ落ち着きを見せ始め、高校3年生になったある日、「児童養護施設の職員になりたい」と言った。
理由を尋ねると、「だって、楽しそうだもん」と答えた。職員との日々の何気ない関わりや雰囲気を通して、B子さんが、「心地良い」と思ったり「楽しい」と思う瞬間を、時間をかけて紡いでいった結果、「生きてたって何も良いことはない」と閉ざされ、冷えきっていた彼女の心の中に、少しずつ温かさとやわらかさが生じ、「人生も捨てたもんではないな、楽しいこともあるのかも」と思ってくれたのかもしれない。
当園のスローガンは「和顔愛語」~和やかな笑顔・やさしい言葉・思いやりの心~であり、その雰囲気づくりを大切にしている。いろいろなことが起こり試行錯誤の毎日であるが、職員同士が明るく楽しく助け合いながら自らの人生を前向きに生きているという「後ろ姿」を伝えたいと願っている。
前述のように、施設の目的には「養護」と「自立」がある。子どもはやがて卒園し、大人になり、社会の一員となり地域の中で生活を営む。将来子どもたちが社会的に「自立」できるような長期的視野にたった支援が求められる。
そのため、10年ほど前に、園から300メートル離れた一軒家をお借りして地域のグループホーム(以下、GH)を設置する計画を立てた。すると、住民から「どんな子がくるんだろう、悪いことをした子がくるのでは」との心配の声があがり、説明にまわった。結局、住民の心配は杞憂に終わり、現在では地域の中で理解と協力を得られ五つのGHを運営している。