放射能禍と宗教者の責任 ― タヒチに“世界の声”集める(2/2ページ)
NPO法人「東北ヘルプ」事務局長、牧師 川上直哉氏
私たち「東北ヘルプ」は、「ムルロアは我らと」の事務局長ジョン・ドゥーム氏に直接呼びかけを受けた。フクシマの石を持ってきてほしい。「ムルロアは我らと」の催事は、タヒチ・パペーテ市で行われる。そこには5メートル四方の小さなモニュメントがある。そこにはヒロシマ・ナガサキ・アルジェリア・セミパラチンスク・フィジーの石がプレートと共に据え付けられている。全て、被曝者が魂を込めて持ち寄った石であるという。「私たち南太平洋の人間は、石こそ全ての基本、魂の象徴と考えるのだ」と、ドゥームさんは語った。そして、フクシマの石を、と仙台で依頼を受けた。
私たちは、原発20キロ圏の砂を、仙台のガラス工房「海馬」にお持ちした。この工房の主人は、テレビの企画として浪江町に作られた「DASH村」の技術指導者であった。工房は心を込めて砂をガラスに変えてくれた。それを持って、筆者はタヒチへ旅立った。
タヒチへ向かう直前、一人の日本人から、連絡が入った。タヒチ大統領が、「ムルロアは我らと」の会場となるモニュメントを撤去すると決めた、というのである。それに反対する請願書があるので、タヒチへ持ち込んでほしいと、依頼が添えてあった。
私たちは悩んだ。「東北ヘルプ」は支援団体である。反原発団体ですらない。そして私たちの多くは、宗教者である。政治運動とは、いつも慎重に距離を測ってきた。しかし事柄を議論し吟味している時間はなかった。そして、放射能禍を見据えるとき、政治の問題はいつか近づくことであると覚悟を決めた。
催事の2日前、筆者は大統領府へドゥーム氏らと請願を持ち込んだ。パペーテのモニュメントは、声なき被曝者の声を世界に響かせる貴重な場所である。そこが失われることに痛恨の念を覚える。異国の宗教者であることの躊躇を超え、ここに曲げて私たちの声を届ける次第だ――そう伝えた。テレビも新聞も、私たちの行動を広く伝えた。大統領は、その日の夜、テレビのインタビューに答え、そもそもモニュメントを破壊する意図はなかった、と明言した。
そして、7月2日の催事の日となった。太平洋の各地から、300人を超える人々が集まった。
贈呈式において、筆者にスピーチが要請された。筆者はこう訴えた。フクシマでは、通常の60倍に達する小児甲状腺の特別な異常が認められ、50人の子供が甲状腺を切除し、その執刀医は事態が深刻であると証言した。しかし、公的には放射能の影響はない、とされている。すでに千人を超える震災関連死が確認されているのではあるが、私たちも徐々に安全なのではないかと感じだしている。そして、私たちは太平洋を汚染している。あふれる汚染水をどうしてよいかもわからない、惨めな状態である。深いお詫びと共に、宗教者として要請したい。私たちのために祈ってほしい。祈りは、私たちを一つにする。私たちは、政治的・社会的に翻弄され、砂のようにバラバラになってしまった。しかしこの「フクシマの砂で作ったガラス塊」を見てほしい。このガラスのように、惨めな私たちを、祈りの炎が一つにしてくれると信じる。どうか、私たちのために祈ってほしい。
太平洋に対して、私たちは加害者の立場である。私たちの原発が、美しい海を汚している。しかし太平洋の人々は、私たちのために祈ってくれた。私たちの石は、ヒロシマ・ナガサキの石と共に、世界の声なき被曝者の石の脇に据えられるという。太平洋の人々は私たちと共に生きることを、祈りを込めて、表明してくださった。
さらにタヒチの人々は教えてくれた。太平洋には、知られざる放射能禍がなおあふれている。例えば、ハワイから西側(米国の反対側)へ500キロほど進むと、ジョンソン島がある。そこには米国の核廃棄物が大量に埋設され、しばしば崩落を起こし、その地の作業員は完全防御を余儀なくされている。
私たちが汚染している太平洋には、声なき声がある。そしてその人々の温かい寛容が私たちに示された。宗教者として生きる一人の人間として、筆者は「責任」を感ずる。赦された者の伸びやかさをもって引き受ける責任。声なき声と共に生きることの決意である。その小さくも確固とした思いをここに示し、このタヒチでの報告を終える。