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近代日本における合掌観の変遷

武井謙悟氏

他方、一九四二年に柳田国男が「イタダクという語の濫用の元祖は、料理法の放送者5555一九四二(昭和二七)年九月から翌年八月まで『婦人公論』に一二回連載された「毎日の言葉」のなかの一つ。「毎日の言葉 イタダキマス」として『定本 柳田国男集 第一九巻』筑摩書房、一九六三年、四〇八~四〇九頁にも収録されている。」と述べたことから、食事の際の「いただきます」という発話が、ラジオの料理番組で普及し、戦後に「いただきます合掌」として動作が付いたという説がある5656篠賀大祐『日本人はいつから「いただきます」するようになったのか』Kindle、二〇一三年、「一三 合掌の謎」、「一四 まとめ」の記載を参照。なお、篠賀は、まず「いただきます」という語が定着し、「いただきます合掌」が戦後の学校教育等で広まったという見解を持っている。。本稿では、書籍や雑誌、新聞記事を用いて近代の合掌観の変遷を検討したが、近代発祥のラジオや映画、現代のテレビといったメディア、そして学校や実際の家庭といった場所での合掌について考察することは今後の課題であろう。また、黙禱、遙拝、二拝二拍手一拝、合掌という身体的実践を比較しつつ、宗教との関係を検討することも取り組むべきテーマである。

合掌は、戦時体制と結び付き推進されていた時もあった。しかし、戦時中も、鍛錬し敵に勝つという性質よりも、感謝や尊敬を示す姿勢が主な奨励理由であった。そのため、現在でも人々は、食事や挨拶など日常の場面で合掌を行い、人間関係を円滑にしているのではないだろうか。近代における合掌の普及の検討は、こうした仏教と人々の関係を示してくれる。

【付記】本稿は、二〇二二(令和四)年九月一 一日、第八一回日本宗教学会学術大会(オンライン開催)における口頭発表「近代日本における合掌観の変遷」(発表要旨は『宗教研究』九六巻別冊、二〇二三年三月、二五五~二五六頁に掲載)をもとに、大幅な加筆修正を行ったものである。

引用資料に関して、()内は筆者による補足を示し、原則として旧字体を新字体に改め、句読点を補った部分がある。


  1. 中村元・福永光司・田村芳朗・今野達・末木文美士編『岩波 仏教辞典 第三版』岩波書店、二〇二三年、一五六~一五七頁。なお、本項目の後半の記述は、合掌が示す教理上の意味、合掌の形式について解説している。本辞典は、第三版で近代仏教に関する研究者が多数参加しているものの、合掌の近代に関する記述はされていない。
  2. 渋川敬応『合掌の研究』顕真学苑出版部、一九三三年、三頁。
  3. 梅原真隆「序」同上、頁記載なし。
  4. 『仏教美術と合掌の理解』仏教青年会聨合本部、一九三五年、『合掌読本』全六篇、興教書院(想華篇一九三五年、教理篇一九三六年、仏像篇一九三七年、聖話篇一九三九年、教養篇一九四一年、聖典篇は未確認)、「真宗教学に於ける合掌の体系と展相」『顕真学報』二二号、一九三九年四月~三一号、一九四〇年一 一月の間に七回掲載など。
  5. 山折哲雄『「坐」の文化論』講談社学術文庫、一九八四年、七五頁。
  6. 谷口幸璽『合掌の話 手を合わせると…』探求社、二〇一二年、八九頁。
  7. 同上、四二~四三頁。
  8. 同上、一四頁。
  9. 粟津賢太「なぜ私たちは黙禱するのか?――近代日本における黙禱儀礼の成立と変容」蘭信三・石原俊・一ノ瀬俊也・佐藤文香・西村明・野上元・福間良明編『シリーズ戦争と社会5 変容する記憶と追悼』岩波書店、二〇二二年。
  10. 同上、二一六頁。
  11. 代表的な成果として、歴史的な観点からアプローチし、国民、国家、民族の実定的なイメージを象徴する伝統もまた近代国家形成期の産物にほかならないと指摘したE・ホブズボウム・T・レンジャー編著、前川啓治・梶原景昭他訳『創られた伝統』紀伊國屋書店、一九九二年(原著一九八三年)が挙げられる。
  12. 平山昇『初詣の社会史――鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム』東京大学出版会、二〇一五年。
  13. 高田道見解答、薄永文雄編『通俗仏教疑問解答集 第二篇』通俗仏教館、一八九七年、二七頁。
  14. 同上。
  15. 同上、二八頁。道元、中村璋八・石川力山・中村信幸全訳注『典座教訓・赴粥飯法』講談社学術文庫、一九九一年、一四九~一五三頁、「三 僧堂への入り方」に合掌方法の記載がある。本稿では、注13資料、二八頁の記載を引用した。
  16. 井上円了『円了漫録』哲学館、一九〇三年、一四頁。
  17. 翠雨生「玄関と応接室(一七)」『読売新聞』一九〇八年二月一五日、朝刊五頁。
  18. 大谷栄一『近代日本の日蓮主義運動』、法藏館、二〇〇一年、同『日蓮主義とはなんだったのか――近代日本の思想水脈』講談社、二〇一九年などが代表的な研究である。
  19. 頂経式は、一八八六(明治一九)年七月一二日に会員名簿筆頭の鷲塚清次郎の家で、田中智学が名付け親となった鷲塚の長男潤一郎誕生の際に初めて行われた(田中芳谷『田中智学先生略伝』師子王文庫、一九五三年、五九~六〇頁)。
  20. 田中智学「第二 毒鼓の化導(下) (一)合掌に表示された徹底化導」『毒鼓論』天業民報社、一九二二年、五四頁。

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