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近代日本における合掌観の変遷

武井謙悟氏

六 おわりに

本稿では四章にわたって、近代の合掌の変遷を辿ってきた。近世の終わりに生まれ、明治期に活躍した仏教者の合掌観は、「仏教徒」としての行であった。あらゆる人へ合掌することを主張した田中智学が雑誌『毒鼓』を創刊した一九一九(大正八)年前後より、雑誌タイトルに「合掌」が登場し、この頃より合掌が流行した兆しが見える。こうした背景には、キリスト教と比較し、学校や家庭で、普遍的、簡易、荘厳な作法として食前食後の合掌が提唱された点が影響している。また、一九三四(昭和九)年創刊の『大法輪』は、イラストや写真を用いて盛んに合掌を推進した。本稿を通じて、冒頭で示した①仏→②礼→③食事へと徐々に合掌の対象が拡大していく様相が明らかとなった。

最後に、粟津賢太の論考をもとに、合掌と黙禱を比較した上で、合掌に対する公教育の現場での批評を例示し、本稿の課題を示したい。

一九一八年に第一次大戦の追悼のためイギリスで実施された黙禱儀礼は、日本でも報道された。一九二三年九月に関東大震災が発生し、多くの犠牲者を出した被服廠跡での一周忌の際、皇太子(後の昭和天皇)が東宮御所(現赤坂御苑)で皇室儀礼としてイギリス式に「二分間」の黙禱を行った。一方、東京市内では交通も停止し、社寺は合図として太鼓や鐘を鳴らして、市民は「一分間」の黙禱を行った。ここに、震災犠牲者に対する、特定の宗教・宗派を明示しない形による弔意の表し方が始めて日本に導入された4545粟津前掲注9、二一八頁。。以降、軍の記念日や靖国神社での大祭の際に「黙禱」が行われ、「遙拝4646遠くから神仏を拝むことを意味するが、近代では宮城に拝す「遙拝式」が実施された。研究成果として、市川秀之『近代天皇制と遙拝所』思文閣出版、二〇二二年が挙げられる。」とともに、学校や軍隊を媒介として浸透していったという。

しかし、黙禱儀礼は、一九四〇年の皇紀二六〇〇年祭に際して設置された神祇院によって、廃止が提言されている。神祇院は、「国礼の統一」としてキリスト教由来で広まった黙禱を廃止し、日本古来の最敬礼として「二拝二拍手一拝」を採用しようと画策したのだ。黙禱廃止にはいたらなかったものの、全体主義の傾向が強まるなかで、こうした批判が出た4747粟津前掲注9、二二七~二二八頁。

黙禱が批判される一方で、同時期には合掌が推進されている。本稿では仏教側の資料を用いたため、断言はできないものの、日本ではなくインド発祥の仏教を由来に持つにも関わらず、合掌は戦時体制下でも奨励され、批判も少ないように感じられる。こうした点は、合掌の対象が、戦死者、被災者や天皇のみならず、あらゆる人々に対してなされる行為であり、さらに、食物という人間以外の対象へも用いられる応用力を持っていたからではないだろうか。

合掌が批判されるのは、主に戦後の公教育の現場においてである。井上順孝によれば、公立学校における宗教的情操教育導入の主張に対する反対は二方向あるという。一つは、戦前の修養的な教育になり、滅私奉公的な教育になるという意見、もう一方は、宗教ごとに異なる生命観や自然観を「一般的宗教情操」として教えることへの疑問である。前者の代表例として挙げられたのが、山口和孝の福井県志比北小学校の禅に基づく道徳教育への批判だ4848井上順孝『グローバル化時代の宗教文化教育』弘文堂、二〇二〇年、一四四~一四六頁。

本批評は、教諭川端貫一が実践し『大法輪』誌上にも投稿した「大心・喜心・老心」の教育4949川端によれば、「大心・喜心・老心」は道元が『典座教訓』のなかで作事・作務に保つべき三つの心を説いたものであり、大心=不動なことが大山のようで、寛大なことが海のようで、左右いずれにも党せず、偏しない心、喜心=喜び感謝する心、老心=父母が子に対して垂れるような限りない慈悲愛憐の親切な心を指す(川端貫一「小学生と禅の心―大心・喜心・老心―」『大法輪』四七巻五号、一九八〇年五月、一〇四頁)。に対するものである。志比北小学校では給食時、「①苦労して作られた。感謝していただこう。②一切の御恩に感謝していただこう。③命のもとなり、合掌していただこう。④薬なり、よくかんでいただこう。⑤立派な人間になるためによろこんでいただこう。5050同上、一〇六頁。」という文句を唱えた後に、食事を開始する5151同上。。これに対し山口は、生徒が唱える文句を「五観の偈」の敷衍であり、禅僧の修行作法のわかりやすい形の焼き増しと述べる。そして、川端の教育は、宗教色を修正した標語のようなものとして教えている「禅教育」そのものであり、宗教的情操教育に当たらないと批判している5252山口和孝「教育基本法九条と宗教教育導入の問題―福井・志比北小学校の禅にもとづく道徳教育への批判―」『教育』三〇巻一 一号、一九八〇年一 一月、六二頁。

また、一九九六(平成八)年には、谷口幸璽も触れているように5353谷口前掲注6、一二~一三頁。、井上円了が合掌の習慣を称賛した北陸地方・富山県における学校給食での合掌が宗教行為と見なされ、保護者によって批判された5454「「合掌」号令さあ給食 富山の公立小・中学校論争広がる」『朝日新聞』一九九六年七月八日、朝刊三一頁。。このように、公教育との関わりで、合掌が争点になることがある。

しかしながら、冒頭で挙げたように、現代でもテレビドラマの食事風景で合掌する様子が見られる。一部の批判がありながらも、この点は、本稿で見てきた近代に形成された合掌のイメージが継承されていることが要因と思われる。

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