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近代日本における合掌観の変遷

武井謙悟氏

四 食事と合掌

本章では、食事の際の合掌を奨励した、教育者泉道雄と、仏教活動家の高島米峰の主張を見ていく。

泉道雄(一八七八~一九四二)は、東京帝国大学を卒業し、山口県下関市浄土真宗本願寺派光明寺住職を務める傍ら、千代田高等女学校校長として専ら女子教育に尽瘁した。泉は、一九二六(大正一五)年四月の雑誌『信仰界』に「食前の合掌念仏」というタイトルで、教育現場において食前の合掌を奨励する文を寄せている2323泉道雄は、本文の発表後『合掌の心』女性の光社、一九二七年を出版している。タイトルに含まれるものの合掌への言及は少なく、日々の信仰生活で重要な心掛けを説いている。

食前の合掌念仏を実行したいと思ひます。昔は 対食偈 (たいじきのげ) といつて長い偈文を唱へた方もあつたが、食前にあまり長いものはよくないと思ふ。極めて厳粛に、合掌するか念仏するで沢山と思ふ。基督教の家庭では、食前の祈禱をやりますが、私はあれは大変よいことだと思ふ。又ある学校の寄宿舎では、生徒の一人が、簡易に宗教書一節を読んで、食事をする処もある。私は() (いち) (だい) (きき) (がき) あたりの 御文 (ごもん) を抜粋して、食前の読物としては如何かと思つてゐるが、少くとも普通の家庭では、合掌念仏で沢山と思ふ。

 箸とらば 天地 (あめつち) 、御代の御恵み 仏と親の恩を忘るな

 こうした気持ちで食前に合掌したいと思ふのである2424泉道雄「食前の合掌念仏」『信仰界』四五巻四号、一九二六年四月、三八頁。

以前、食前には対食偈を唱えていた場合もあったが、泉は合掌か念仏を厳粛に行うことを主張する。キリスト教の家庭が食前の祈禱を行うことや、学校の寄宿舎で宗教書を食前に読むことを美徳と感じた泉は、蓮如の『御一代聞書』から抜粋した文書を読むことを提案している。しかし、一般家庭では、冗長なものは避けたいため、合掌念仏を簡易的に行うことを推奨した。

他方、浄土真宗本願寺派の寺院に生まれ、哲学館(現東洋大学)を卒業後、仏教清徒同志会を結成し、新仏教運動やラジオ法話を行った高島米峰(一八七五~一九四九)は、食事作法を統一する方法として合掌を提言していた。

高島は、箸箱や箸を大事そうに持ち上げる、合掌する、または叩頭の礼をさせるなど、寺院や仏教信徒の家庭での様々な食事作法を挙げる。このように仏教徒は食事作法を大切にしているように思われるのだが、婚礼や懇親会など大人数での会食の際には、礼儀作法を何もせず、いきなり食事を始めており、大変疑問に思う、と高島は述べる。その理由として、食事作法が各宗各様であることや、寺院と在家の間に相違があることが問題であって、互いに違うことが憚られるために、公の場で作法を省略していると、高島は推察する。 一方、キリスト教の食事作法は、「世界的であって、何処でやつても誰がやつても、同じ型2525高島米峰「三〇、食事法を合掌に統一せよ」『米峰曰はく』丙午出版、一九三〇年、二六三頁。」であり、まず卓上に両手を組んでその上に頭を垂れ、暫く黙禱して、食事を開始している。この光景を高島は「これは確に、うるはしい状景として、いつも、僕は、羨しく思つて居るのである2626同上。」と語る。そして、食事作法についてこう提言する。

凡そ敬礼法に、合掌程簡単で、容易で、しかも敬虔で真摯なものは無い。男も女も、老人も、子供も、学者も無学者も、合掌して居る姿ほど、殊勝なものはない。そこで僕は、こゝに、全仏教徒の食作法として、家庭に於ても、旅宿に於ても、公の会食に於ても、私的招待の場合でも、さては、基督教徒と席を列ねた場合でも、苟も仏教徒たるものは、食前食後に、必ず合掌するといふ事を通儀とした(い)といふ事を提議する2727同上、二六四頁。

簡単容易であり敬虔真摯、さらにどんな年齢層、職業であっても、合掌する姿は殊勝であると高島は述べ、いかなる場所においても、仏教徒の食事作法として合掌することを提言した。

一九二九(昭和四)年五月に高島はこの提言を発表したが、翌年に、宗教民族学者の宇野円空(一八八五~一九四九)は、『読売新聞』紙上で「私は宗教の解釈として、又自分の実際生活の経験から宗教は一種の神秘的な感激とか敬虔な態度とかいふものを日常生活の細部までゆき亘らすべきものと思ふ。その意味で合掌運動の如きものは価値があると信ずる2828宇野円空「合掌運動」『読売新聞』一九三〇年一〇月四日、朝刊四頁。」と述べている。本記事では、合掌運動を推進した人物の明言はないものの、時期を鑑みると、仏教徒の統一した作法として、いかなる場所でも食事の際の合掌を提言した高島の「合掌運動」を評価していると思われる。

泉と高島からは、キリスト教との対比で、日常の食事作法としての合掌が提案された。全仏教徒に共通、誰でもできる、敬虔な動作が「合掌」であった。泉や高島の意見を聞くと、大正後期から昭和初期にかけては、一部の家庭や寺院の食事作法として合掌が行われているものの、全ての家庭に普及していないために、このような提言がなされたと推察される。合掌の存在感を高め、家庭での食と合掌の関係性をさらに深めたのは、昭和前期に創刊、二〇二〇(令和二)年七月まで刊行された大衆仏教雑誌『大法輪』の活動が重要であった。

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