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第20回「涙骨賞」受賞論文 奨励賞

近代日本における合掌観の変遷

武井謙悟氏

一方、同時期には、

昭和十七年からは、早天起床、洗面先づ、皇居に向かつて合掌し、朝夕祖先の霊前に向つての合掌は勿論のこと、人と対する時の礼儀にも、特に食事の前後には必ず合掌し、且つ食前には必ず五観の偈を読誦し、或は念誦する様にしたい4141同上。

と、天皇・祖先・食物への感謝を合掌で表現することと、三宅村小学校でも読誦されていた「五観の偈」の利用も勧められた。

本論文の先行研究として挙げた渋川敬応『合掌の研究』の序文を寄せた梅原真隆が同時期に述べた合掌に対する意見は、『大法輪』の主張と似たものであった。

決戦態勢下に於て生活必需品の確保、端的にいへば食料の確保が大切である。同時に受食の行状を錬成して、どんな食物でもおいしく有難くいたゞける心境を培ふべきである。これには三度の御飯を合掌して頂くやうに国民を教練したらよいとおもふ。この合掌の作法は簡素であつて普及しやすい。しかも人心を調へるに強い 統整力 ((ママ)) をもつてゐる。なほ国民としても既に習慣づけられてゐる。これを受食の時だけでも国民錬成の作法として取上げたら頗る効果的であるとおもふ4242梅原真隆「今日への言葉 合掌運動」『読売新聞』一九四一年一二月一三日、朝刊四頁。

当時西本願寺勧学、大政翼賛会調査委員であった梅原は、戦時下の国民錬成の作法として簡素で普及しやすい「合掌」を推進している。これまでも、高島米峰が仏教徒共通の食事法として合掌を提案していた。しかし、決戦体制に突入した状態では食料の確保が難しく、少ない食事でも感謝するという意味でも合掌は適切であった。そして、多くの国民になじみのある合掌は、挙国一致のための実践としては相応しいものであった。

他方、『大法輪』では、胎児と母親に対して合掌を奨励する文章が、医師の意見として掲載されている。

宗教を理解し得る程の婦人科の医師は、よく産婦に対して、「合掌をしなさい」と云ふ。それは母親が合掌すればする程、胎内の子供の合掌も自然堅固になつて、(しっか) りと離れなくなる為めである。ところが妊娠中に、あやまつて躓いたり、或は乱暴に 身体 (からだ) を使つたりすると、胎児が合掌を離してしまふことがある。さうすると甚だ難産になり、母親も苦しめば胎児も苦しみ、 母子 (おやこ) 共に病弱になるといふ。さればこの合掌といふことは、妊娠中の婦人にとつては、一段と大切なことである4343大法輪編集部前掲注40、表紙裏。

宗教を理解している婦人科の医師が「宗教は即ち合掌である」と、母親の合掌によって胎児の合掌が形づくられるとする。現代では、マタニティヨガのポーズの一種に合掌の形があり、安産につながる健康法とされているものの、妊婦の合掌が胎児の合掌につながるという点は、やや科学的根拠に乏しい理由かと思われる。しかし、医師の主張という点を科学的根拠の担保とする方法を用い、『大法輪』は合掌を推進していた。

>図4『大法輪』九巻三号、一九四二年三月、目次裏図4『大法輪』九巻三号、一九四二年三月、目次裏

最後に、家庭での合掌奨励として、一九四二年三月には、四脚が三〇㎝ほどの低い机にご飯、味噌汁、漬け物、中央におかずが並び、父、母、兄弟二人が正座し、合掌したイラストに「一家揃って食前食後の合掌いたしませう」との文字が添えられている(図4)。そして、「正しい合掌の仕方」として、以下の文が記載されている。

両方の掌をピッタリ合はせ、指もキチンと揃へて合はせ、両肘を身体から離して腕を胸に近づけず、指頭が鼻の先と対するやうにする。腰は真直ぐに伸ばす。合掌した指先が前の方を突く様になつたり、低すぎたり、高すぎたり、或ひは指先が鼻の先についたりするのはよくない4444『大法輪』九巻三号、一九四二年三月、表紙裏。

これは第二章で高田道見が例示していた道元「赴粥飯法」の合掌法である。石原俊明が曹洞宗寺院で育ち、修行もしていたことから、「正しい」合掌方法として紹介している。

以上、『大法輪』は、アジア共通の礼としての合掌、妊婦と胎児の合掌、家庭内での正しい合掌という、多様な視点から合掌を推奨していた。

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