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近代日本における合掌観の変遷

武井謙悟氏

三 雑誌と合掌

前章では、伝統仏教教団の関係者による合掌観を取り上げた。本章では、在家仏教運動を展開した田中智学の合掌観を見た上で、当時の雑誌と合掌の関係を検討する。

田中智学(一八六一~一九三九)は、日蓮宗の僧から還俗し、在家仏教運動に注力した。一八八四(明治一七)年、東京に立正安国会を設立し、講演活動を中心に大阪、名古屋へ教線を拡大する。本会は一九一四(大正三)年に国柱会と改名し現在にいたる。

講演や執筆活動を積極的に行い、高山樗牛をはじめ、姉崎正治、石原莞爾、宮沢賢治ら多くの人々を感化した宗教家としても知られる。近年、智学の提唱した日蓮主義運動の全体像を本多日生とともに分析した大谷栄一らによって再検討され1818大谷栄一『近代日本の日蓮主義運動』、法藏館、二〇〇一年、同『日蓮主義とはなんだったのか――近代日本の思想水脈』講談社、二〇一九年などが代表的な研究である。、現在も近代仏教研究で最も注目される人物のひとりである。

智学は葬儀ばかりに注力している仏教界の現状を批判し、お宮参りから着想を得た「頂経式1919頂経式は、一八八六(明治一九)年七月一二日に会員名簿筆頭の鷲塚清次郎の家で、田中智学が名付け親となった鷲塚の長男潤一郎誕生の際に初めて行われた(田中芳谷『田中智学先生略伝』師子王文庫、一九五三年、五九~六〇頁)。」をはじめ、仏教が葬祭だけでなく「冠婚」へ関与する必要性を訴えている。その一例として彼は仏教式の結婚式「本化正婚式」を考案した。他方、智学は、「合掌」に対しても関心を持っており、智学が雑誌『 毒鼓 (どっく) 』創刊記念で行った講演録『毒鼓論』にその理由が述べられている。

国柱会では、『法華経常不軽菩薩品第二十』に登場する常不軽菩薩があらゆる存在を仏とみなし、合掌礼拝したことにならい、合掌を礼として採用していた。智学は、具体的にこう述べる。

天皇陛下がお通りになッても合掌する、宮城の前を通ッても合掌する、見ず知らずの人を見ても、友人同((ママ)) でも皆な合掌する。これはナンであるかといふと、皆この毒鼓の 化導 (けどう) から出て居る。斯うやッて拝まれると、これに対して合掌された方の感覚はどうです? 合掌して拝まれた刹那、人はどう感ずるか、 合掌 (これ) は人を馬鹿にした形ではないでせう、これは人を敬ッた形だ2020田中智学「第二 毒鼓の化導(下) (一)合掌に表示された徹底化導」『毒鼓論』天業民報社、一九二二年、五四頁。

>図1『毒鼓』創刊号 一九一九年一 一月(筆者蔵)図1『毒鼓』創刊号 一九一九年一 一月(筆者蔵)

天皇、宮城前、見ず知らずの他人、友人というあらゆる人々へ合掌することを国柱会では奨励しており、それは、合掌が人を敬った形を示しているからだ、と智学は述べる。そして、きちんとした合掌の形は、魔王も恐れる剣に見えるといい、一九一九年創刊の雑誌『毒鼓』の表紙を合掌の形を模した黒い二等辺三角形のなかに白抜きの字で「毒鼓」と書かれたデザインにしたという2121同上、五六頁。(図1)。このように、智学は、人を敬い、魔を防ぐものとして合掌を捉え、積極的に推奨、創刊雑誌『毒鼓』の表紙にまで採用した。

話は変わるが、明治後期に坐禅ブームが起こり、禅が普及すると、その様子を反映して、雑誌名に禅を含む改題誌が登場する。例えば、久内大賢(?~一九一五)主筆の『理想』(創刊年不明)が、一九〇七年五月『禅』へ、一八九七年三月創刊『和融誌』が一九一五年一月『禅学雑誌』へ、一九一七年創刊『臨済大学々報』が一九二五年三月『禅学研究』へ改題されている。坐禅の流行2222禅の流行については、雑誌『禅道』、『大乗禅』の坐禅開催案内の推移をもとに検討した拙稿「近代日本における禅会の普及に関する考察―『禅道』・『大乗禅』の記事を中心として―」『近代仏教』二六号、二〇一九年五月を参照のこと。に伴い「禅」と名の付く雑誌に改題したと思われる。

>図2『合掌』二巻二号 一九二一年二月(筆者蔵)図2『合掌』二巻二号 一九二一年二月(筆者蔵)

合掌に話題を戻すと、一八九五年一 一月創刊の大谷大学の雑誌『無尽灯』は、『毒鼓』創刊の翌年、一九二〇年一月に『合掌』へ改題している。翌年の第二巻からは黒田重太郎(一八八七~一九七〇)による天使が両手を組んでいる絵が表紙になっている(図2)。一九二五年一〇月には、臨済宗国泰寺派勝平大喜(一八八七~一九四四)の江南会を主体として『東亜の合掌』、一九三四(昭和九)年七月には、智山青年会本部より、雑誌『合掌』が創刊された。

こうした「合掌」の名を冠する改題誌や創刊誌の状況を鑑みると、坐禅よりやや遅れた大正後半から昭和前期にかけて合掌が流行していた可能性が指摘できる。こうした背景には、食事の際に合掌を奨励する活動があった。

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