《部派仏教研究の現状と展開②》実在論と空のはざまで(1/2ページ)
筑波大人文社会系助教 横山剛氏
筆者はインド仏教において大きな勢力を誇った説一切有部(以下、有部と略)の教理研究を専門とする。有部の広範で緻密な教理を研究の対象とするのはもちろんであるが、筆者の関心の中心は有部教学と大乗仏教思想の関係やインド仏教最後期への有部説の継承などにある。そして、これらの点を通じて、インド仏教における有部教学の位置付けやそれが果たした役割の解明に取り組んでいる。筆者の研究には柱となるテーマがいくつかあるが、ここでは有部と中観派の関係をめぐる研究について紹介したい。
仏教の誕生地であるインドでは、仏滅後、約1世紀を経て、部派仏教の時代に入る。仏教教団は分裂を繰り返すとともに、各部派では初期経典の教説を整理分析する「アビダルマ」と呼ばれる知的な営みが展開され、仏教の教理体系が形成されてゆく。
数ある部派の中で最大級の勢力を誇った有部は、仏教の主要な教理概念を一覧に整理するとともに、それらの教理概念を実在する要素とみなし、ダルマ(法)と呼んだ。そして彼らは、これらのダルマがそれ以上分割も還元もすることができない最も根本的な性質である自性を有すると主張した。
有部が説いたこのような実在論は、一見すると仏教の根本思想である無我や無常の教えに反するように見えるために、他学派のみならず、仏教内部からも批判の対象となった。その中でも、大乗仏教の主要派閥のひとつである中観派は、有部が説く法の自性や実在性を批判することで、あらゆる事物は本体を欠くという空の思想を説いた。
このような思想史的な背景から、これまでの仏教研究では、中観派による有部批判に注目が集まってきた。一方で、有部教学は仏教の教理体系の構築に大きな役割を担っており、彼らが説くダルマの体系(いわゆる「五位七十五法」)も仏教における最も基本的な教理概念の一覧に他ならない。このような点に目を向けると、中観派がはたして有部教学を全面的に否定し、それを捨て去ったのかという点が問題となる。
有部教学と中観思想の関係を考察するにあたって、中観派の学匠であるチャンドラキールティ(7世紀頃)が著したとされる『中観五蘊論』が貴重な情報源となる。同論は中観派の立場から有部のダルマの体系を解説する小型の論書である。サンスクリット原典は失われ、チベット語訳のみが現存する。
筆者はこの文献を用いて有部教学と中観思想の関係の解明に取り組んできた。中観論師の作でありながら有部教学を解説するという特異な性格に加えて、チベット語訳の質に問題があるということもあり、これまで同論の研究は進んでいなかった。このような状況にあって筆者は、李学竹氏(中国蔵学研究中心)と加納和雄氏(駒澤大学)によって、近年サンスクリット原典の研究が進められているアバヤーカラグプタ(11~12世紀頃)著『牟尼意趣荘厳』の一部が『中観五蘊論』に依拠することを見出した。そして、李・加納両氏の協力のもとで、『中観五蘊論』のサンスクリット原文を部分的に回収することに成功した。これによって『中観五蘊論』のテキスト研究が大きく前進した。
続いて、同論の内容を見てみよう。同論の中心をなすのは各ダルマの定義の提示とダルマ間の関係性の解説である。一方、ダルマを実体視することがないように、著者はそれらの自性の否定を随所で行う。ヴァスバンドゥ(4~5世紀頃)が有部の教理をまとめあげた『阿毘達磨倶舎論』からの多数の教説を借用するなど、同論の主要な部分は有部と共通する内容から構成される。したがって、同論は有部論書と見まがうばかりの強いアビダルマ的な性格を有する。