福来友吉の神秘世界 ― 千里眼事件その後(2/2ページ)
高野山学園顧問・京都教育大名誉教授 岡本正志氏
高野山大時代には、心霊現象を密教思想の立場から考察し体系化しようと努力した。大学在職中に書かれた『心霊と神秘世界』(人文書院、32年)は、彼が行った透視や念写実験に加えて、西洋のスピリチュアリズムの歴史を調べ、仏教思想で再解釈を試みたものである。W・ジェイムズやH・ベルグソンなどの著作を読み下しながら仏教的解釈を及ぼしていくが、透視や念写、霊についてはすでに証明済みだという認識であり、その理論的説明をどうするのかが福来の思索の中心であった。金剛経や大日経、維摩経、華厳経など様々な経典を利用して、近代スピリチュアリズムが掲げる霊の証明を密教的解釈で克服しようとしていたのである。
福来は人間に備わっている精神の力について確信を深めて行くが、幽霊の研究をしようと考えた節はない。しかし、霊についての思索を深め、次のように述べる。
“西洋の心霊主義者の一般思想によると、霊は稀薄なる物質の身体を具えているから、普通人には見えぬけれど特別に鋭敏なる眼を具えた人には見えるという…しかし吾等の説は之と異なっている。霊は純粋に非物質的なるもので、それ自体としては全然不可見である。併し霊は念の働きにより幻の姿を現わし、而して吾人の眼に見えるようになるものである”(『心霊と神秘世界』)
福来は、心霊現象を「観念」という仏教的概念を基礎として統一的に理解しようとしたと言えよう。通常、観念は自我の「内」にあって活動しており、それが心理現象である。しかし観念が自我の「外」で活動する場合があり、それが心霊現象として現れるという。この自我の「外」で活動する観念を「念」と呼ぶ。では、どのようなときに観念が自我を離れるのかといえば、トランス状態の場合と肉体の死の場合であり、トランス状態では、自我が主観客観を超越した状態となるので、観念が自我を離れて自由になる。肉体が死を迎えたときは、観念の活動に不適当な生理条件となり、観念は肉体を離れて自由になり「念」となる。この「念」の働きで霊が姿を現わすと解釈されているのである。
この論理構成では、観念そのものが意思をもって活動するかのように描かれている。そして、観念は「非物質的な力であり、形を持たないが、物質に作用する。念が形成され作用すると、消滅せず生存し続ける」として、「観念は生物なり」(『変態心理』、17年)とまで宣言するのである。念写という「事実」が、こうした考えを導き出した根拠となってはいるが、観念的であり神秘主義を肯定することになっていく。
こうした研究活動は生涯衰えることなく、45(昭和20)年、75歳で戦禍を逃れて妻の故郷の仙台に疎開しても、詩人の土井晩翠や細菌学者の志賀潔と交流し、東北心霊科学研究会を結成している。
福来は52(昭和27)年3月、仙台の地で、82歳で逝去した。死の間際に「仕事を残したままで死ぬのは残念だ」と言い残したと伝えられている。
霊との遭遇という現象に対して、それが事実であるかどうかを明らかにしたいというのが心霊研究者の目的である。一方で、遭遇した人にとっては事実そのものであり、それが慰めとなっているのならば科学的な証明云々の問題ではないという立場もある。
災害からの復興支援には、道路や建物などインフラ的側面だけでなく、被災者の心のケアの大切さが指摘される。その際、「霊との出会い」というような、「心の裏側」として語られる事柄についても、思いを巡らすことが必要かもしれない。