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問われる国家と宗教の関係 大嘗祭を前に(2/3ページ)

京都産業大教授 須賀博志氏

2019年11月6日
すが・ひろし氏=1970年生まれ。京都大法学部卒、同大大学院法学研究科博士課程研究指導認定退学。専攻は近代日本法史・憲法。日本近代の憲法史・神社法史・宗教法史・警察史を研究。桐蔭横浜大法学部専任講師、京都産業大法学部助教授・准教授を経て、2011年から現職。

厳格分離説は維持できるか?

政教分離原則に関する憲法学の通説的見解は、国家と宗教との関わり合いを一切排除するのではないものの、それらの厳格な分離を要求する「厳格分離説」である。その根拠として挙げられるのは、日本国憲法と同類型の政教関係を採用するとされるアメリカ合衆国の判例のほか、①明治憲法下では神社神道(国家神道)が事実上の国教とされ、信教の自由が制限されたうえ、それが国家主義や軍国主義の精神的支柱となった、②敗戦後にGHQが発した「神道指令」は、神道の国家からの分離や学校からの排除を命じ、わが国に信教の自由の確立を要請したが、日本国憲法の政教分離規定は神道指令の趣旨を取り入れたものである、という歴史認識である。

①②の歴史認識は多くの憲法の教科書・体系書に書かれており、津地鎮祭訴訟などの最高裁判決でも採用されている(ただし、最高裁の多数派はこのような歴史認識を憲法解釈の根拠にはしておらず、国家と宗教との間の一定の関わり合いを許容するいわゆる目的・効果基準を採用し、学説と対立している)。

このような歴史認識は、戦後憲法学の第一人者であった宮澤俊義が集大成したものである。宮澤は終戦直後から、戦前の政府見解であった神社非宗教論を強く批判し、戦前は国民に神社参拝義務があったとして、日本国憲法の下での変化を言祝いでいた。日本独立後には、自衛隊発足、天皇の靖國神社参拝、日本遺族会発足などの動きに対抗して、明治憲法を滅ぼした「神々」がよみがえりつつあるとして警戒する講演を行った。

靖國神社国有化や伊勢神宮国庫補助が政治的争点となった1960年前後には、宮澤は代表作『憲法Ⅱ』において、神社の国教的性格の制度的側面や神社参拝義務などをまとめるとともに、神社非宗教論が信教の自由を否定し、狂信的な神国主義が日本を戦争につきすすめたと述べた。

このような宮澤の歴史認識は、左右の政治的対立の渦中にあって、護憲派が「敵」とみなしたものを戦前に投影して構築されたと思われる。宮澤は「神々」が日本国憲法と両立不可能であるとするが、彼のいう「神々」は、神社の国教的地位という制度的側面だけでなく、明治憲法の神権天皇制というイデオロギーを含み、さらに天皇への崇敬・敬意表明まで含むものであったし、その軍隊との関連性も強調されていた。

1960~70年代には、憲法学の歴史認識は、宗教学者村上重良の「国家神道」論によって強化される一方で、靖國神社国営化反対運動、津地鎮祭訴訟支援運動と結び付いて多少の変容を被った。すなわち、①の神道の国教的地位に他の宗教への冷遇・弾圧という要素が加えられ、靖國神社が「国家神道」の中心に位置づけられて、軍国主義と神社が直結されたのである。現在まで引き継がれている①の歴史認識は、こうして冷戦構造下での保革対立の中で形成された、護憲派にとっての「敵の顔」のコラージュというべきものであり、学問的な歴史研究とはまったく無縁の存在である(山口輝臣編『戦後史のなかの「国家神道」』所収の拙稿参照)。

実際に、近年の歴史研究の成果によると――明治中期には神社への国費支出を廃止する政策が採られたことがあること、国家の補助金は一部の神社に限られたうえに低額で、神職の葬儀への関与が禁止されたため、神社の経営は厳しかったこと、国民一般に神社参拝を義務付ける法令は存在せず、いわゆる神社参拝強制は戦前・戦中の一時期に国民運動の一環として行われたものであったこと、靖國神社は他の神社と管轄の省も異なり、他の神社とは異なった扱いを受けていたこと、他の宗教の弾圧は国家神道との矛盾を理由とするものではなく、右翼政治運動への対策や衛生上の懸念など別の文脈で行われたこと、明治期から昭和期にかけて「宗教」の語義が変遷しており、神社非宗教論は明治期にはいたって常識的なものであって、信教の自由の否定を糊塗するような意図のものではなかったこと、いわゆる国体論も多様なバリエーションがあり、天皇制の正統性を神話に求める神権天皇制イデオロギーは昭和期になってから有力になったこと――などなど、①の歴史認識や村上の「国家神道」論と矛盾する事実が明らかになっている。村上の「国家神道」論が誤っていることは、専門の研究者の間では、20世紀の末には一般的な認識となっていた(村上「国家神道」論の発展的継承を標榜する島薗進教授は例外的な存在である)。

また、②の歴史認識についても、神道指令を起草した民間情報教育局宗教課の主な狙いは軍国主義・超国家主義の教育からの排除にあって、宗教と国家との分離は二次的な意味しかなかったし、日本国憲法の起草にあたった民政局は教会と国家の分離を念頭に置いていたのであって、神道指令と日本国憲法との間には直接の継承関係はないことが明らかにされている(大原康男『神道指令の研究』)。①②いずれも史実に反することは間違いない。

憲法解釈論にはもともとイデオロギーが混入されやすいものではあるが、そうであるからこそなおさら、イデオロギー的な歴史認識を注意深く避けなければならない。保革対立の一方が実証的な研究に基づかないで作り出した歴史認識を、憲法解釈論の直接の論拠にするようなことは、学問の作法としても許されないであろう。「厳格分離説」はその論拠を再検討する必要がある。

とはいえ、関連する歴史研究がどんどん個別化し蓄積していく状況で、明治憲法下での政教関係についての新たな歴史認識を得るのは、現在および近い将来には困難なように思われる。一定の歴史認識に寄りかかるのではなく、それ以外の理論的な論拠を探す必要があろう。そのような模索は始まっているように見えるが、より本格的な検討を期待したい。

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