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新・往生論―日本浄土教の脱‐神話化のために(1/2ページ)

早稲田大法学学術院教授 守中高明氏

2019年8月21日
もりなか・たかあき氏=1960年生まれ。早稲田大法学学術院教授。浄土宗・専念寺住職。著書に『他力の哲学―赦し、ほどこし、往生』(河出書房新社)、『ジャック・デリダと精神分析―耳・秘密・灰そして主権』(岩波書店)など多数。

浄土の教えを今日どのように説くべきか。浄土へ往き生まれるという救済の理念を、現代社会に受け容れられるものにするために、私たちはなにを考えるべきか。そして、いかにすれば仏教はその伝統の中から広く現代人の心に届く言葉を生み出すことができるだろうか。

前提として踏まえておかねばならないのは、宗教の言説が属する歴史的‐社会的文脈の問いであり、各時代の宗教的概念を現代の私たちがどのように読み解くべきかという問いである。この点に関しては、かつて吉本隆明が書きつけた一文が正鵠を射ている。「親鸞論註」と「喩としてのマルコ伝」の二篇からなる『論註と喩』(言叢社、1978年)の「あとがき」の中に次の指摘が読まれる――「わたしの取り上げた対象〔親鸞とイエス〕は〔…〕、宗教以外の形態で思想が不可能であった時代に、善悪の起源とその了解に関してそれぞれの洋において極限を提示したものである」。これは、日本中世に生まれその時代の認識論的枠組みに規定されて思考した法然の言葉を受け取る際にも、私たちが強く留意すべき点である。日本はヨーロッパとは異なり形而上学の伝統を持たなかった。だが、そのことは日本に哲学的思考が存在しなかったことをなんら意味しない。日本中世の仏教者たちは、まさしく宗教の概念と言葉によって、その時代の最も高度に錬成された固有の思想を語ったのである。「宗教以外の形態で思想が不可能」であったこの「時代」の言葉は、それゆえに、宗教という外形的カテゴリーのもとでのみ理解されるべきではなく、当時の知の最先端の表現として読まれねばならないのだ。

この視点からするとき、「往生」という概念はいかに解釈され直されるか。現代の浄土宗の公的教義において、それは人間が死後、極楽浄土へ生まれることだと定義されている。阿弥陀仏の名を称えつつ帰依を誓う行為である称名念仏を実践すれば、誰もが死後、清らかなる西方十万億土の彼岸に生まれ、救い取られるのだ、と。現在の浄土宗の宗義は、「往生」を死後の出来事とする一点を中心に構成されており、「他力」や「凡夫」といった主要概念の解釈に識者のあいだで時として振幅があるにせよ、この一点だけは墨守されている。事実、浄土宗の教えを最大限に現代化し普遍化すべく企画された英語による宗義の解説書も、そのタイトルは“Never Die Alone:Death as Birth in Pure Land Buddhism”(ジョナサン・ワッツ/戸松義晴編、浄土宗出版、2008年)、すなわち『決して一人で死すことなかれ――清浄なる仏国土へ生まれることとしての死』である。

だが、これははたして適切な解釈か。人間存在が、その死後、別の世界へ生まれるという思考は、どのようにすれば根拠づけられ正当化され得るのか。むろん、それが可能なのはただ神話としてのみ、すなわち非現実的な物語、想像力に根拠を置く説話的装置においてのみである。

実際、高度に発達した自然科学の体系的知をもつ現代人にとって、人間存在の有限性はあらゆる世界解釈の大前提であり、死は現象的事実としては絶対的な終わり、存在の切断以外のものではあり得ない。それゆえに、それでもなお「死後の往生」を説くとすれば、その宗教は、その振る舞い自体において、みずからの限界をみずから設定し露呈していることになる。すなわち、有限性を運命づけられた人間存在に、せめて想像界においてなぐさめを与え、死という究極の脅威、そこから由来する不安や絶望や恐怖に対して、心の安寧と平穏をもたらすために特有の物語を差し出すこと。そして、そのような一つの神話を集団で形成し、維持し、分け持つことのうちに、みずからの存在理由を見出し、それこそがみずからの役割であると信じ、自負すること……。

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