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明治大正期の東京大学仏教青年会 ― 創立百周年に寄せて(2/2ページ)

龍谷大教授 中西直樹氏

2019年6月14日

ところが明治20年代半ば、国粋主義が勃興し、キリスト教が急速に衰退してその脅威が薄れると、仏教宗派間の協調路線は崩壊していった。さらに日清戦争後の仏教界には、海外での布教拠点の争奪戦をにらんで、急速に宗派利益を優先する風潮が台頭した。通仏教的な仏教青年会への宗派からの風当たりも強くなり、明治30年代初めには宗派間の対立が激化した。

大日本仏教青年会の主導権は、大谷派出身で東大生の近角常観が握り、大谷派宗政のトップ石川舜台と協調して仏教公認教・宗教法反対運動を推進した。これに対し、本願寺派は大谷派と反対の立場を採り対立した。反省会の系統に連なる経緯会・仏教清徒同志会も、政府からの特権を得ようとする公認教運動と近角らのあり方を厳しく批判した。こうして大日本仏教青年会は分裂し、急速に衰退していったのである。

求道会館と大正期の徳風会

明治33年4月、公認教運動での活動が認められた近角は、大谷派から欧州の宗教事情視察に派遣された。ところが、35年3月に急きょ帰国を命じられ、4月には石川舜台が財政破綻により失脚した。近角は、海外で慈善事業なども視察しており、帰国後に新たな事業展開を構想していたのかもしれない。しかし、活動の基盤であった大日本仏教青年会はすでに衰退しており、石川の失脚によって真宗大谷派の支援を期待することもできなくなった。

かつての仲間からの批判にさらされ煩悶を抱えた近角に残されたのは、わずかに本郷森川町の土地・建物だけとなった。この地は、大谷派新門の大谷光演(後の二十三代法主)が、公認教運動推進の拠点として近角に買い与えたものであった。帰国後の近角は、ここで日曜講話をはじめるとともに、十数人の学生を寄宿させ共同生活をはじめ「求道学舎」と命名、翌年には「求道会館設立趣意書」を発表した。

当時、大きな社会変動を迎え、思想的にも動揺が広がるなかで、近角の活動は上京した青年たちの心をとらえた。明治43年8月、石川啄木は「時代閉塞の現状」という評論文を書いている。大学を卒業しても職を得ることができず、大逆事件以降の「強権政治」のなかで、青年たちは未来への展望を持てずにいた。近角のもとには、さまざまな煩悶を抱えた青年が集まるようになり、大正4年には求道会館も建設された。

求道会館は、東大のキャンパスに近いこともあり、大正期の徳風会の活動は、毎週一度求道会館に集まって例会を開き、近角から歎異抄の講話を聴聞することが常となっていった。しかし、一方で、各宗派の関係者を幅広く結集して社会的発信をするような活動は低調をきわめた。

東大仏青年会の結成

長い低迷を経て、東大に宗派を超えた結集の機運が再び高まりはじめたのは、第一次世界大戦の終結後の大正8年のことであった。同年3月16日午後1時、法科32番教室において紀平正美の「大乗は宗教なりや」、木村泰賢の「大乗的精神」と題する公開講演が開かれ、東大仏青の結成が宣言された。宣言では、戦後の世界文化の再建と発展に仏教精神をもって貢献したいとの決意が表明されている。また、従来の仏教界が宗派優先と僧侶偏重の意識にとらわれ、仏教徒全体の連携を欠いている点を残念であると述べ、宗派・僧俗の垣根を打開していく方向性も語られている。

前後して、教友会、三田仏教会も再興され、東京諸学校の連絡体制の再構築が図られるようになった。東大、早大、慶大、東洋大、曹洞宗大(現駒澤大学)、日蓮宗大(現立正大学)、宗教大・豊山大・天台東部大(現大正大学)などと連携して、出版事業、学生会館・寄宿舎の経営、各種教化、国際交流など幅広い新事業も計画された。第一次大戦後の仏教青年の関心は、もはや個人の内面の煩悶の解決にとどまらず、国際問題、教育問題、婦人問題など広く社会へと向けられていったのである。こうして仏教青年会の運動は再び活気を取り戻した。

大正13年には約8万円の経費を投じて、三層白亜の東大の仏青会館が本郷に竣工した。同時に研究・社会事業、全国の仏教青年との連携事業の計画も発表され、同年12月、東京各大学の仏教青年会の連合組織「東京各大学仏教青年会連盟」が組織された。ここに東京の青年仏教者の連合組織は復活を果たし、新たな仏教潮流を生む牽引役としての地位も取り戻した。

昭和6(1931)年には、東京各大学仏教青年会連盟を中核として「全日本仏教青年会連盟」が結成され、全国的な巨大組織が成立した。しかし、敗戦により連盟は解体され、今日も仏教青年会の活動は低調なように見受けられる。東大仏青のさらなる飛躍に期待したい。

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