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明治大正期の東京大学仏教青年会 ― 創立百周年に寄せて(1/2ページ)

龍谷大教授 中西直樹氏

2019年6月14日
なかにし・なおき氏=1961年生まれ。龍谷大大学院修士課程修了後、筑紫女学園大准教授等を経て、2013年から龍谷大文学部教授。本願寺史料研究所委託研究員。著書に『近代西本願寺を支えた在家信者―評伝 松田甚左衛門』『新仏教とは何であったか―近代仏教改革のゆくえ―』など。

本年は、大正8(1919)年に「東京帝国大学仏教青年会」(以下「東大仏青」と略称)が設立されてから100年目にあたる。その歴史は、前身である「徳風会」から数えると130年にも及び、東京の諸学校の仏教青年会の中核的存在としてだけでなく、仏教革新運動のフロントランナーとしての役割を果たしてきた。

ところが、初期の動向、特に徳風会から東大仏青へと至る経緯はあまり知られていない。ついては明治・大正期の東大の仏教青年会活動の歩みについて少し概観しよう。

徳風会の創設

徳風会は、明治22(1889)年に、当時第一高等中学校に在学中であった龍口了信の呼びかけで設立された。龍口は、慶應3(1867)年、広島県の真宗本願寺派正順寺に生まれ、広島県第一中学校を卒業後、本願寺派普通教校を経て、明治21年4月、第一高等中学校に入学していた。24年に卒業して東大に進学し、同窓生には正岡子規、夏目漱石らがいた。漱石の小説「こゝろ」に登場する人物「K」は、龍口がモデルの一人といわれている。

当時、東京の諸学校では仏教青年会の活動が活発になりつつあった。その背景の一つが、本願寺派普通教校の卒業生が進学のため、次々に上京してきたことであった。普通教校では、龍口の在学中の明治19年3月に「反省会」という仏教青年会が組織され、翌年には機関誌『反省会雑誌』(後に『中央公論』と改題)も創刊されていた。

反省会の会員でもあった菊池謙譲が東京専門学校(現早稲田大学)の教友会で、梅原賢融が慶應義塾の三田仏教会で活動しており、龍口も彼らに刺激を受けて、校内で仏教講演会を企画し、徳風会を立ち上げたようである。校内でキリスト教青年会(YMCA)の活動も活発になりつつあり、これを快く思わない木下廣次校長が徳風会を支援し、島地黙雷、大内青巒ら東京仏教界の重鎮も後援した。その後、第一高等中学校の卒業生が東大へ進学したため、徳風会は東大の仏教青年会ともなっていった。

釈尊降誕会と夏期講習会

明治25年1月、仏教青年会活動の高まりを受け、徳風会、教友会、三田仏教会、哲学館(現東洋大学)、法学院(現中央大学)の学生らが、駒込真浄寺に集まって親睦会を開催した。親睦会では、宗派的エゴにとらわれて対立を繰り返す既成仏教のあり方の問題点が指摘され、宗派の垣根を超えた共同的精神により釈尊降誕会と夏期講習会を開催することが決議された。

こうして同年4月8日、東京諸学校仏教青年会の連合主催により第1回釈尊降誕会が開かれた。当日の午前は徳風会が担当して真浄寺で講演会を開き、午後は哲学館学生の担当で、神田錦町斯文学会講堂で盛大な降誕会が執行された。講堂の正面に花御堂を設営して誕生仏を安置し、大内青巒や島地黙雷らの仏徳讃嘆の演説が行われた。夜は三田仏教会が担当し、法話・演説の後、余興に薩摩琵琶などの演奏があった。多くの入場希望者が詰めかけ、入場を謝絶するほどであったという。世襲の檀信徒を対象とせず、不特定多数の参加を想定した仏教行事としては従来例のないものであった。当日、大内青巒が釈尊の伝記を略述したパンフレット『宇宙之光』数千部が用意され、大規模な仏教施本事業も行われた。

一方、夏期講習会は7月20日から8月2日まで行われ、その準備は徳風会が担当した。東西学生の連合による講習会を開催したいとの念願から、京都近傍の避暑地での開催を希望し、京都の仏教諸学校に協力要請の手紙を送ったところ快諾を得た。会場は須磨と決定し、東西の諸学校等で学ぶ仏教青年らが一堂に会し、本願寺派の斎藤聞精、大谷派の清澤満之らの講義を聴聞した。宗派の枠を超え、東西の仏教青年が共に学ぶ場を設定した講習会は、宗派・地域ごと分断されてきた近世仏教以来の旧習に決別を告げるものであった。

大日本仏教青年会の結成と分裂

東京諸学校の連合主催による降誕会と夏期講習会は、その後も恒例行事となった。明治27年1月には、各学校の仏教青年会に所属する学生が集まって東京諸学校仏教連合会を開き、4月8日の釈尊降誕会を期して「日本仏教青年会」(後に「大日本仏教青年会」と改称)を結成した。

当時、大日本仏教青年会に対する期待は大きく、新仏教運動の旗手と目されていた。大日本仏教青年会は、釈尊降誕会・夏期講習会の恒例事業のほか、演説会や講習会を開催して仏教の一般への普及に努め、雑誌の発行・寄宿舎や会館の建設などの新事業を計画して、キリスト教青年会のように、宗派から超然独立した組織へと発展しつつあった。

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