SISR国際宗教社会学会2017報告(2/2ページ)
北海道大大学院教授 櫻井義秀氏
さて、日本のイスラームに対するメディア的関心は、かつては原理主義、現在はIS(「イスラム国」)などの宗教的過激主義者に限定され、先進国へ移民や難民として流入するムスリムやムスリムの宗教やコミュニティーに関する理解は十分ではない。近年、ニューカマーの宗教への調査研究は進められているが(櫻井義秀・三木英『日本に生きる移民たちの宗教生活』ミネルヴァ書房2012、三木英『異教のニューカマーたち』森話社2017)、ヨーロッパに比べれば圧倒的に少ない。しかしながら、今後の西欧社会や世界宗教の趨勢を見ていく際に、ムスリム人口の増加やムスリム社会の動向に注視が必要である。
ローザンヌ大会で発表されたムスリムやムスリム・コミュニティーの研究は数も多く、内容も多種多様である。宗教社会学ではスンナ派とシーア派、ワッハーブ派のような教派や教義の相違よりも、出身国や出身地域、移民・難民として流入した経緯、元の出身階層によるライフスタイルの相違を重視する。また、移民一世と二世、三世のホスト社会への適応程度にも注意する。
その際、キリスト教が文化宗教や特権的宗教(教会税の恩恵がある北欧やドイツ、政権とカトリック教会・正教が強い関係を持つ西欧・中欧・東欧)である地域では、ムスリムを包摂する宗教的多様性が必ずしも国家的アイデンティティーとはならない。つまり、人権上の民族的平等と各種制度上の宗教的平等は同一の地平にない。
また、移民・難民として社会階層の下位から人生を切り拓く人々に対する二級市民もしくは「仕事を奪う低賃金労働者」という一律の視線が、本来多様なムスリム・アイデンティティーに一定の枠をはめ、過激主義を容認する宗教的アイデンティティーを強化することもある。
民族的・宗教的単純化の視線は、キリスト教的多様性によって宥和されるべきである。現在、西欧の地方教会にはブラジルやナイジェリア出身の牧師が浸透し、移民社会においてキリスト教徒のペンテコスタル化が進展している。カリスマ的牧師、神とサタンの二元論的世界観、悪魔祓いによる神癒などは、社会的剥奪状態にある人々を惹きつける。西欧社会において、熱すぎるキリスト教は中間層に受け入れられていないが、リベラルなキリスト教派ほど衰退著しく、非信者化を食い止めることができないでいる。
このような宗教文化間の葛藤を含む報告を聞きながら、日本の多文化主義や宗教的多様性の議論はいささか予定調和的ではないかと感じた。宗教のダイナミズムはきれい事ではない。宗教的理念とは必ずしも関連しない人口圧や社会移動によって宗教は変化していくのである。