テーラワーダ仏教と日本 ― 近代日本の宗教≪11≫(2/2ページ)
日本テーラワーダ仏教協会編集局長 佐藤哲朗氏
2009年に終結したスリランカ内戦は、仏教徒シンハラ民族とヒンドゥー教徒タミル民族の対立として報じられました。最近では、ミャンマー仏教徒によるイスラム教徒ロヒンギャ民族の迫害を告発する報道も頻繁に目にします。
現在、仏教とナショナリズムの問題がテーラワーダ仏教圏で頻発しているのは事実です。三宝帰依を天皇制国家への絶対的献身へとすり替えた黒歴史は日本仏教に大きな傷を残しましたが、スリランカにせよミャンマーにせよ仏教徒(および仏教を奉じる民族)は多数派であっても全体ではあり得ません。宗教的ナショナリズムを貫徹すれば、その他の少数派グループは論理的帰結として排除・殲滅に追い込まれるのです。
上座仏教圏の宗教ナショナリズムは、仏教を含む諸宗教が天皇制カルトへの同化を強いられた日本の前例とは異なる毒性を胚胎しています。一切衆生の幸福を願う世界の仏教者は、誰もが脛に傷を持つ自覚のもと、宗教ナショナリズムの克服に向けて尽力すべきでしょう。
いわゆる近代仏教史の範疇では、日本におけるテーラワーダ仏教移植の試みはいったん潰えています。真言宗の釈興然(1849~1924)は、明治23(1890)年に留学先のスリランカで具足戒を受けて比丘となり、帰国後は外護者を得て日本人留学僧をスリランカに送り出して日本人比丘サンガ設立を期したが挫折しました。
興然の挫折からほぼ100年を経た現代、数十人規模のテーラワーダ仏教比丘が日本に滞在しています。居留民コミュニティーに依拠する外国人僧侶、海外で出家後に帰国した日本人比丘が大多数ですが、日本国内に設定された戒壇で受戒した日本人比丘もいます。実質上、日本にもテーラワーダ仏教サンガが成立していると言えるでしょう。
彼らを支える裾野として、テーラワーダ仏教に帰依あるいは強いシンパシーを持つ日本人も万単位で存在すると思われます。テーラワーダ比丘による法話やパーリ仏典に関する日本語の出版やネット情報も、既成仏教を凌駕する勢いです。この潮流が逆転することは、もうないでしょう。
日本でテーラワーダ仏教が受容された遠因に、増谷文雄、中村元などの書籍を通じて普及した「原始仏教」ブランドに合致したことが挙げられるでしょう。近代的「原始仏教」イメージに由来する合理性の強調と、アメリカとアジアの合作であるマインドフルネス実践のセットは、テーラワーダ仏教をスマートな非宗教的な実践体系として日本人に受容させました。
とはいえ伝統的な宗学で再生産された「小乗仏教」への偏見も根強く、日本におけるテーラワーダ仏教の受容には、常にプラスとマイナスの鬩ぎあいがありました。明治の開国以来かなりの時間を要しましたが、ここ10年ほどで、テーラワーダ仏教は移民コミュニティーの仏教から「日本人の仏教」に成長したと言えるでしょう。
その一方で、東南アジアやスリランカの仏教に触れた人々の中には、仏教徒の大多数が瞑想に関心を持たず、祭礼や布施儀式を中心としている実態に困惑する向きもあります。これは、アメリカやヨーロッパで禅堂に通い、いざ「仏教国日本」を訪ねて激しいギャップに驚く欧米人の感覚に近いかもしれません。
これから日本におけるテーラワーダ仏教の変容を参与観察する上で、近代仏教史研究の成果への目配せは欠かせないと痛感しています。皆さまも動態としての仏教世界を見通す一つの視座として、「テーラワーダ仏教と日本」の行く末に注目してほしいと願っています。