「核廃棄物」減らせない現実 ― 宗教者提唱すべき人道上の問題(1/2ページ)
平和活動団体「ピースプラットホーム」事務局 森俊英氏
安倍晋三総理は「核燃料サイクルは、高レベル放射性廃棄物の量、および放射線レベルを格段に減少させ……」と国会で語った。報道でそれを聞いた私は自分の耳を疑うとともに、そのようなことが現実に可能なのか?と驚いてしまった。この発言は2016年9月29日、国会(参議院)における共産党・市田忠義議員の質問に対しての安倍総理の答弁の一部である。答弁における前後の発言趣旨から見ても、この部分は重要な論拠としての位置にあり、聞く者に「核燃料サイクルの優位性」を強く印象づける形になっている。
実際に、「高レベル放射性廃棄物の量、および放射線レベルを格段に減少させる」ことができるならば、それは人類にとって朗報である。人類(先進国)が作り出してしまった「核廃棄物」処理への大きな貢献となる。
ところで私は、その国会開催の数日前、核燃料サイクルの工場がある青森県の六ヶ所村を訪ね、現地の方から説明をうけていた。それゆえに、青森から帰った直後、耳に入った安倍総理の発言をそのままに納得してしまうことができなかった。私が青森で見聞してきた現実からは、そのような朗報は有り得ないからである。
では、なぜ安倍総理は上記のように発言できたのであろうか。
震災以降、私は福島県および青森県に足を運び、現地の方・専門家に案内してもらいながら、原発事故の現実や核廃棄物処理について学んできた。原子力・放射性物質の分野は複雑であり、とても難解な表現も多く使われていて市民レベルでは理解し難い感もある。
ただし、「高レベル放射性廃棄物を格段に減少させる」方策(技術)が存在するか否かに関しては、私たち市民レベルでも十分に理解できる範囲にある。そこで、安倍総理の発言への懸念について、順序立てて論述してみるので読者諸氏も一緒に考えてもらいたい。まずは、安倍総理の発言の最初にある「核燃料サイクル」の説明から始める。
福島第1原発事故以降、私たちは「使用済み核燃料」という用語を報道で何度も聞くようになり、その危険性、さらには処理に困っている現状も知ることとなった。現在、日本国内には8万体近くの使用済み核燃料集合体(4メートルほどの棒状)が存在している。そのうち約6万体は各地の原発敷地内、あとの約2万体は青森県の六ヶ所村・他でそれぞれ保管されている。
ところで、この危険な使用済み核燃料(棒)を処理するのに二つの方法がある。一つ目は直接処分する(地中に埋める)方法で、アメリカ・カナダ・スウェーデン・フィンランドなどが採用している。二つ目は「再処理」という方法で、燃料棒を溶解して、廃棄すべき物質と再利用できる物質とに分けるものである。すなわち、直接処分ならば、すべてを捨てるべきところ、「再処理」では、その一部を再利用するのであるから「核燃料サイクル」と呼ぶわけである。日本は後者の「再処理」を目指している。
「直接処分」においては、使用済み核燃料全体を「高レベル放射性廃棄物」とみなして地中に埋めている。一方、「再処理」では廃棄すべき物質と再利用できる物質とに分けることにより、前者を「高レベル放射性廃棄物」と呼び、後者は「資源」とみなしている。このあたりから、安倍総理が表現した言葉の意味が見えてくる。
もう少し詳しく言うと、核燃料サイクルの推進パンフレット(注1)には次のように説明されている。
「使用済み核燃料を廃棄物として、そのまま直接処分する場合と比べ、再処理することで高レベル放射性廃棄物の体積は約4分の1に減容できます」
このように体積比(容積比)が減少するわけで、これはあくまでも直接処分する方法に対しての「比較」による減少と言えるのである。すなわち、私たちは安倍総理の発言が、このような「比較」のうえでの「減少させる」という意であることを、まず押さえておかねばならない。決して、危険な放射性物質の多くを、この世から消し去ることができる技術が「核燃料サイクル」にあるのではない。
さて、「再処理」後には、廃棄物と呼ばず「資源」とみなした放射性物質が多く残るわけだが、その先は次のような工程となっている。簡単に言えば、その「資源としての残り」の中にあるプルトニウムとウランを使って「MOX燃料」を作り、それを再び原発で使うという計画で、これが「再利用」である(「MOX燃料」とは新しいタイプの原発用核燃料であり、それに対して従来のものは「ウラン燃料」と呼ばれる)。しかし、その後は、やはり「使用済みMOX燃料(棒)」が残ってしまうことは想像にやさしい。