今上陛下の“高齢譲位”と新天皇の御大礼(1/2ページ)
京都産業大名誉教授・モラロジー研究所教授 所功氏
参与会議で御意思表明
周知のとおり、7月13日、NHKテレビから「天皇陛下“生前退位”の意向」が報じられた。ついで8月8日、ビデオにより「象徴としてのお務めについての天皇陛下のお言葉」が各局から放映された。
しかも、『文藝春秋』10月号によれば、すでに平成22年7月22日、御所における「参与会議」で、陛下(満76歳)みずから「私は譲位すべきだと思っている」と切り出された。それに対して皇后陛下と5名の出席者(参与3名および羽毛田信吾宮内庁長官と川島裕侍従長)も驚愕し、「退位に反対された」「全員が摂政案を支持した」という。
けれども、陛下が「天皇という存在は、摂政によって代行できるものではない。皇太子に譲位し、天皇としての全権と責任を譲らなければならない」と強調し続けられた。その結果、「皇后も(皇太子も秋篠宮も)、天皇の固い意思を確認され、やがて退位を支持する」に至られた。
ついで、平成24年2月、心臓の冠動脈バイパス手術を受けられた陛下(78歳)は、「高齢化による障害(母である香淳皇后の晩年のご様子)について率直な思いを話される」と共に、「平成30年までは頑張ろう」と仰せられ、「それまでに目途をつけてほしいというお気持ちを伝えて」おられたという。
このような御意向は、長官から政府に伝わっていたにちがいないが、政府は直ちに対処せず、今年に入っても摂政案で乗り切ろうとしていたようである。しかし、8月8日以降は、安倍首相も「天皇陛下のご年齢や……ご心労に思いを致し、どのようなことができるのか、しっかりと考えていかなければならない」と述べ、9月23日、有識者会議を立ち上げた。
皇室典範第4条に増補
そこで、先人の論議を振り返ると、昭和21年12月、現行の皇室典範案を審議した帝国議会において、貴族院議員の佐々木惣一博士(京大教授)は、「天皇が……国家的見地から自分は此の地位を去ることが良いとお考へになる……そう云ふ御希望があるならば……(国会も)それが国家の為になるかどうかと云ふことを判断し……(双方)合致した……ならば……退位せられるやうなことにする……それに依つて国家の行くべき道、又国民が自己を律すべき道と云ふやうなものが……そこに教へられると云ふことになる」から、「天皇の御退位と云ふことが可能になる所の余地と云ふことを定めて置く必要がありはしないか」と述べておられる。
また、この典範案審査委員会の幹事を務めた宮内省(のち庁)の高尾亮一氏は、昭和37年、憲法調査会に報告した「皇室典範の制定経過」の中で、「もし予測すべからざる事由によって、退位が必要とされる事態が生じたならば、むしろ個々の場合に応ずる単行特別法を制定して、これに対処すればよい」と指摘している。
さらに、皇室法研究会編の共同研究『現行皇室法の批判的研究』(昭和62年、神社新報社)では、「葦津珍彦氏の説」として「天皇が……国家国民のために、日本国の道が決定的に誤つてゐると思はれる時には、その公的御意思によつて、退位を表明なさる“権能”があるべきではないか」との見解を注記する。
それらの先賢は、天皇の“終身在位”を前提としながら、「予測すべからざる事由によって」「国家的見地から」「公的御意思によって」天皇が退位=譲位を希望される場合もありうることを想定し、それが可能になる「余地」「権能」を認めて、個別的に「単独特別法」で対処する方法をも提示していたのである。
しからば、今回はそれに該当するだろうか。7月の報道と8月のお言葉を併せて考えれば、今上陛下の御意向は、過去のような“生前退位”ではない。
今や70年前に予測し難かった“超高齢社会”を迎えて、まもなく83歳の陛下が、次第に進む体力・気力の低下を深刻に懸念され、次世代への譲位をすることによって「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」ておられる。正確に申せば、高齢のみを理由とする譲位の御叡慮であり、それが「国家的見地から」「公的御意思によって」いるとみなすことは、十分可能だと思われる。