伝道教団再生、20年後を見据えて ― 寺院活動“安心”が核に(2/2ページ)
浄土真宗本願寺派西方寺住職 西原祐治氏
離郷門信徒集約型布教から、一般の未信の人々への開教に移行する場合、一般社会が望む公益性を重視することが望まれます。
宗教者(団体)が関わる社会問題で多いのも「教育問題(モラル、地域教育、道徳教育)」「生命倫理(脳死、出産操作)」「環境問題(ゴミ問題、地球温暖化防止など)」「社会不安(老年期孤独死、社会福祉など)」「生命の危機(自殺、終末期ケアなど)」「人類の知性への啓発(仏教的な価値観の提唱)」などです。
これらの問題に対して、浄土真宗の視座で活動すべきですが、浄土真宗が最も発揮する公益性は、「苦しみへの対応」です。
苦しみへの対応には、対症療法と構造的な問題解決の二面がありますが、対症療法ではなく苦しみの源である人間の闇が明らかになる。そのための実践的、体系的・法則的な体系を整え、その伝道ソフトを活用して開教に従事することが理想です。
浄土真宗の伝道者は、僧侶である必要はないと思っています。都市開教において、伽藍や歴史、僧侶、儀式といった権威的なものは非常に重要でありかつ有効です。見知らぬ者同士が暮らす都会では、歴史や伽藍、公務員といったある種の権威的なものが信用を生み出すからです。しかし、苦しみに相対するとき、権威は無力です。権威的なものを重視しながら、かつ苦しみへ対応できる伝道者を育成することです。
そのためには、僧俗という伝道者の差を低くすることです。私は、一つの実践の取り組みとして門信徒と僧侶の共通のミニ輪袈裟(式章)を制定し、僧俗共に門徒であるという意識の中で、活動に従事すべきだと思っています。
経済の基盤も、法事・葬儀等による寺院収入での活動という寺院モデルが、ワンパターンである必要はないでしょう。色々な職場に身を置く人が、その現場で活動することも重要だし、宗派が経営する学校や社会福祉施設で、伝道者を雇用し活動に従事することも考えられます。
葬儀社と僧侶の関係が問題となることがありますが、私はむしろ宗派や寺院が葬儀社や関連会社を経営して伝道の一助とすべきだと考えています。その事業体で伝道者を雇用することによって、経済的なバックアップが可能となります。伝道の起点が寺院である必要はない。活動モデルの多様化が必要です。
またスぺシャリストの育成も重要です。たとえば、若手僧侶の、各分野へのボランティア派遣など、若手僧侶の生活費を補助して1年間さまざまな社会活動の現場へ送り込む制度なども考えられます。年間30人派遣すれば10年間で医療、福祉、環境問題、町おこし、教育など現場感覚に鋭い若手僧侶が300人は育成できます。人材育成とともに本願寺とさまざまな事業体との間にネットワークが生まれ、一石二鳥の効果をもたらします。
首都圏の特徴の一つに、定着性がないことが挙げられます。28年の開教活動の中で、法事や葬儀、法話会への参加などで、ご縁をいただいた方の半数近くが転居されています。こうした地域では、寺院への帰属意識から宗派への帰属意識を持っていただくことが重要です。
宗派への帰属意識及び育成には、それなりの帰属意識育成プランも必要です。帰敬式や法要、イベントヘの参加も重要ですが、銀行カードと提携をした本願寺カードなど、現実の経済活動の中で、利便性を持たせた“本願寺で良かった”と思える、言葉は悪いですが囲い込みが必要です。