他人思いやる心育てる ― 「失敗させる」ことが大切(2/2ページ)
日蓮宗蓮久寺住職 三木大雲氏
テストで良い点を取り、一流高校から一流大学に進み、一流企業に就職して、裕福な生活をするため、すなわち「得」をするためだけに教育の時間を割いては決してならない。
裕福な生活は確かに幸福なことではあるだろう。しかし、幸福とは、それだけでは決して手に入らない。人から感謝され、喜んでもらうことができる人生こそが、本当の幸福なのである。だから、お釈迦様は、「得」よりも「徳」を説かれたのだ。
皆さんは「ドラえもん」というマンガをご存知だろうか。この中に、のび太君という小学生が出てくる。のび太君は、勉強は嫌い。泣いてばかりの臆病者。スポーツもダメ。暇があれば昼寝。のび太君のご両親も、我が子の将来を悲観して心配が尽きないでいる。そんなのび太君もまた、自分の将来に不安を抱いていた。
そこで、のび太君は、ドラえもんに頼み、タイムマシーンで未来の自分を見に行くことにする。(てんとう虫コミックス第25巻「のび太の結婚前夜」)
未来に到着したのび太君が見たものは、結婚相手の静香ちゃんが結婚に迷っている姿だった。彼女が「この結婚は間違ってはいないか」と、父親に相談するシーンが出てくる。そこで静香ちゃんの父親は、次のように答えた。
「のび太くんを選んだ君の判断は正しかったと思うよ。あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それがいちばん人間にとってだいじなんだからね。彼なら、まちがいなく君を幸せにしてくれると僕は信じているよ」と。
失敗が多いのび太君は、自分の失敗に苦しみもがいてきた。その結果、他人の悲しみを理解し、他人の成功を喜べるという素晴らしい人徳を持った人間になれた。大きな慈悲心を持つ人は、大きな目標を持つことができるだろう。
大きな慈悲の心を持つ人が、病気の人を見た時、かわいそうにと思う。そして、病人を治してあげたいと強く願う。それが子供であれば、将来、医者を志す。その子は、少々ではへこたれずに勉学に励むことができるはずだ。なぜなら、自分のために頑張っているわけではなく、他人のために頑張っているからだ。言い換えれば、なぜ勉強するかという理由を持っているということだ。
人間が持つ能力は、自分のためだけを考えて生きるより、他人を思って生きる時にこそ発揮されるのではなかろうか。
幼い子供が勉強を頑張る理由は、両親に喜んで欲しいからである。しかし、どんなに頑張っても、「もっともっと」とばかり言われると、やがて勉強する目的を失い、勉強が嫌いになってしまう。
大人も同じなのではなかろうか。大人になっても、誰かに褒めて欲しいし、認めてもらいたい。だから日々、頑張るのだ。自分が認めてもらいたい、褒めてもらいたいのだから、周りの人たちもきっと同じ気持ちでいるだろう。
我々人類は、互いに互いを思い、助け合い、励まし合って生きてゆかねばならない。そうしなければ、政治家は私利私欲に走り、国々は各々の主張を曲げずに争い、人々は互いに殺し合うことになる。
そうならないためにも、子供の教育には、「徳」こそが美しいものなのだと、「美徳」というものを教える授業が必要なのではないだろうか。
得を捨てて、徳に生きる美しさを仏教は説いている。そのことを子供たちに教えなくてはならない。そのためにも、小さな頃に沢山の失敗を経験させ、他人を思いやる心を育てなくてはならない。子供は世界の未来である。