自殺問題での宗教者の役割 ―「ゲートキーパー」に最適(2/2ページ)
U2plus代表 東藤泰宏氏
しかし、日本のゲートキーパーにはどこに行けば会えるのだろうか。政府は「国民が皆ゲートキーパーであるべき」と目標を掲げる。しかし、実際に深刻な悩みを持つ人が、どのようにしてゲートキーパーと接触できるかは、明確に示されているとは言えない。
内閣府のゲートキーパー養成用の動画は全て合わせて「11分」である。このあまりに短い時間のトレーニングで、誰かの生死に関わることができるのだろうか、という疑問もある。
また全国でゲートキーパーが何人いるのかも不明確だ。「ゲートキーパーのバッジ」などがあるのだが、バッジをしている人を求めて街をさまようわけにもいくまい。
この問題に対して、私は「宗教者がゲートキーパーとなるべきだ」という主張をしたい。根拠はその資格の妥当性、アクセスの明確さ、人口ボリュームの三つだ。
圧倒的多数の葬送儀礼を主宰する宗教者であれば、その一人一人が日常の中で、各自の信仰に基づく死生観を持っているであろう。それは数分の解説動画では補いきれるものではなく、職業倫理として自然と、かつ厳しく磨かれていくものであると思われる。
また、寺院は全国各地に散らばっており、その気になればほとんどの人が相談に訪れることができる。地域によっては、宗教者が自分から各家庭に足を向けることも可能だろう。
とりわけ仏教では寺院が全国に約7万7千カ寺あり、それに倍する僧侶がいる。うつ病患者数約100万人、自殺予備軍約30万人(自殺者の約10倍とされる)に対して、しっかりと向き合うのに、十分な人数だ。以上の点から、ゲートキーパーとしてこれほど適した集団はないのではなかろうか。
もちろん宗教者が即座にゲートキーパーになれはしないだろう。ある程度のスキルや知識が求められるはずだ。精神疾患への知識、当事者との距離の取り方といったコミュニケーションの技法などの習得が必要になる。
前述したように、ほとんどの自殺者は精神疾患の診断があてはまる。このため、うつ病、アルコール依存症、統合失調症、パーソナリティー障害など最低限度の精神疾患について、基礎的な知識が求められるだろう。
また、相談者の深刻な悩みに対峙しつつも、その重さに引きずり込まれないような工夫が必要になってくる。例えば医師は医局での息抜きにより、患者と向き合うことができるという。臨床心理士はカウンセリングの時間を必ず区切ることで、距離をとる。死に関する相談を受けるNPOでは、対象者に必ずグループで向き合うという。その他に当事者に寄り添う「傾聴」というヒアリング技法なども含めて、医学や心理学から学ぶことは多いかもしれない。
さらに、病気以外の社会的な問題を扱う各機関へのチャネル(経路)が求められる。一部の意欲的な心療内科では、精神科医の他に、カウンセラー、キャリアカウンセラー、ソーシャルワーカーがいる。
ただクリニックへの経済的な負担が厳しく、一般的にはなっていない。自殺問題では、精神疾患だけでなく、自殺の危機要因となる、失業・生活苦・家庭問題・将来への不安などへの対応が求められるが、病院だけではなく宗教者にとっても、単独で処理できる問題ではない。
よって個別のケースに応じて、それぞれ専門的なNPOや弁護士、行政書士など、適切な相談機関へとつなぐ「ハブ」となれることが重要だ。
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