高齢化する釜ケ崎の人々 ― 伝道集会、孤独感を回避する場に(1/2ページ)
関西学院大社会学部助教 白波瀬達也氏
大阪市西成区に位置する釜ケ崎は、かつて女性や子どもが多く住む地域だったが、高度経済成長期、主に建設労働に従事する日雇労働力の需要が急激に高まり、全国各地から単身の男性が多く集まるようになった。釜ケ崎では1960年代後半に治安と衛生の観点から、行政によって家族世帯を周辺部の公営住宅等に転居させることが促進された。その結果、釜ケ崎は単身男性日雇労働者が集住する地域となった。
釜ケ崎は60年代から80年代にかけて日雇労働者のまちとして活況を呈していたが、バブル経済崩壊以降は求人が激減。近年は高齢化も著しく、労働市場としての釜ケ崎は縮小の一途をたどっている。全国最大規模の寄せ場であった釜ケ崎は、90年代には全国最大規模のホームレスの集住地となった。そして今日は住民の約40%が生活保護を受給する「福祉のまち」に変化してきている。紙幅の都合上、釜ケ崎の歴史と現状に関しては多くを論じることができないので、詳しくは筆者が共編者として関わった『釜ヶ崎のススメ』(洛北出版、2011年刊行)を参照されたい。
http://www.rakuhoku-pub.jp/book/27149.html
日本において最も馴染みのある宗教施設は寺院と神社だが、現在の釜ケ崎には存在しない。かつて釜ケ崎には四恩学園という浄土宗を基盤にした仏教系セツルメント(社会福祉事業施設)が存在したが、高度経済成長期に「日雇労働者のまち」へと変わりゆく中で他地域へ移転した。また釜ケ崎には50年代に設立された天理教の教会が存在するが、今日、地域住民との関わりは希薄である。かくして釜ケ崎では高度経済成長期以降の急激な地域変容に伴い「宗教の空洞化」が生じた。そうした中、現在まで高いプレゼンスを示してきたのがキリスト教である。
釜ケ崎のキリスト教の活動の歴史は長く、その端緒は30年代までさかのぼることができる。60年代までは主としてカトリックおよびプロテスタントの外国人宣教師によって、スラムとしての釜ケ崎が「発見」された時期といえる。この時期、キリスト教を基盤にした医療や保育の施設が形成される一方で、積極的な布教活動を行う教会も形成されるなど、様々なアプローチが混在していた。
60年代後半になり、これまで個別に釜ケ崎に関わってきた牧師、宣教師らの協働が進んだ。70年、クリスチャンの超教派組織「釜ヶ崎協友会」(現在は釜ヶ崎キリスト教協友会)が結成された。釜ヶ崎キリスト教協友会は布教を目的とせず、「人を人として」をモットーに、釜ケ崎の人権向上、福祉基盤の形成に尽力してきた。釜ケ崎に暮らす人々の憩いのスペースとなっている「ふるさとの家」や、アルコール依存症者の克服支援をしている「喜望の家」、無料宿泊施設を経営する「出会いの家」、子どもたちの遊び場・学び場を提供する「こどもの里」「山王こどもセンター」など、釜ヶ崎キリスト教協友会には釜ケ崎における重要な福祉資源が連なっている。
バブル経済崩壊以降、釜ケ崎は深刻なホームレス問題を経験するようになった。こうした状況の変化は釜ケ崎におけるキリスト教の活動にも大きな変化をもたらした。とりわけ90年代後半以降は「釜ヶ崎キリスト教協友会」とは異なるスタンスでキリスト教への入信を重視する複数の教会・団体がホームレス伝道を開始するようになった。これら新規に参入してきた教会・団体は、いずれも「伝道集会」という食事の提供を伴った集会を行っている。
90年代後半以降に、釜ケ崎においてキリスト教の布教活動が急増した背景として労働運動の影響力低下を指摘することができる。釜ケ崎が労働力を供給する寄せ場として十分に機能していた時代、労働運動が日雇労働者を支える主たる担い手であった。かつて労働運動の担い手たちは、キリスト教の布教行為を日雇労働者の被抑圧状況から目を逸らすものとして糾弾していた。しかし、現役の労働者が減り、自前で食事を摂ることができないホームレスが増加するようになり、労働運動の担い手たちはキリスト教の布教行為を公然と批判することがなくなった。こうして近年、キリスト教を布教する際の障壁が取り払われるようになったと考えられる。
もう一つの理由として韓国系プロテスタント教会の台頭を指摘することができる。これらの多くは90年代以降に韓国からやってきた福音派ないしペンテコステ派に分類される教会である。釜ケ崎で活動する韓国系プロテスタント教会は「日本人の福音化」を目指して来日するも、思うように教会形成できなかったケースが目立つ。そうした中、韓国人牧師たちは偶発的に釜ケ崎と接触するに至り、今日ではしっかりと根を下ろすようになった。日本人の信者形成に苦心してきた韓国系プロテスタント教会にとって、親族との縁が絶たれがちな釜ケ崎の人々は関係を構築しやすい存在だったと考えられる。