日本各地にある「弘法水」とは ―「大師由来」伝説1500近く(2/2ページ)
立正大教授 河野忠氏
弘法水の中には、眼病、皮膚病、胃腸病などに効能がある、などという“薬水伝説”が多数存在する。科学的に最も大きな特徴は、これらの弘法水の多くに、特徴的な水質を示すものが多いことである。万病や長寿に効能が伝えられる弘法水はカルシウム濃度が高い傾向がある。一般的にカルシウム濃度の高い水を飲用する地域は長寿であることが知られている。また眼病に効く弘法水には、溶存成分濃度が低い水や、塩化ナトリウム型の水質を示す水、硝酸イオン濃度の高い水があり、当時の衛生状態を考えると、これらの水を使用することで眼病が改善したということは十分考えられる。
日本人は、塩には脱水作用と殺菌作用があることを経験的に知っていた。塩湯は神経痛やリウマチあるいは皮膚炎などに効能が認められる。実際に皮膚病に効能が伝えられる弘法水は、一般的な炭酸カルシウム型の水ではなく、塩水や酸化還元電位の低い水が多かった。閼伽水として利用される水は、塩水型もしくは硫酸ナトリウム型の水質を示した。これらの水は非常に清澄であり、硫酸イオン濃度の高い腐りにくい水であった。閼伽水とは神仏に供える水であり、心身の垢を落とす水として利用する水でもあるために、すぐに腐ってしまう水の使用は避けたのであろう。
硝酸イオンは殺菌効果があると考えられるが、人為的な汚染物質であり、高濃度の水を飲用すると、メトヘモグロビン血症(いわゆるブルーベビー・シンドローム)を発症することが知られている。しかし、お産の際の悪阻を和らげる効能が伝えられている弘法水には1リットル当たり数十ミリグラムに達する高濃度の硝酸イオンが検出されるものがある。この水を飲用すると、血液中の酸素濃度が低下するので、胎児に悪い影響を与えるはずである。自然状態の地下水中に高濃度で硝酸イオンが生成するメカニズムは不明であるが、今後、医学的な側面も含めた詳細な研究が行われることを期待したい。
以上のことから、弘法水は、大師自身が掘り当てた水であるというよりも、次のように考えるべきであろう。
①水量はわずかながらも、水の乏しい地域に数百年もの間湧出し続けた湧水・井戸水である。
②無数の湧水・地下水の中で、特殊な水質を持ち合わせ、疾病(特に眼病・皮膚病・胃腸病)や健康増進などに利用できたものは、当時の衛生状態や医療技術レベルから、薬水・霊水として用いられるようになった。
③水文科学的には、微量ながらも安定した湧出量であり、特殊な水質の湧水が多いことから、弘法水は浅い地層中を流動する地下水ではなく、かなり深いところから湧出する深層地下水、あるいは温鉱泉の一種である。
これらの湧水が長い歴史の中で淘汰され、さまざまな効能を発揮し、水神信仰、弘法大師信仰と摺り合わされて成立したものが弘法水の本質であろう。