日本各地にある「弘法水」とは ―「大師由来」伝説1500近く(1/2ページ)
立正大教授 河野忠氏
日本各地には弘法大師伝説の水(弘法水)が多数存在している。これらは弘法大師が発見した水として、次のように伝えられている。
「弘法大師が日本各地を巡錫の折、ある村で喉が渇いた大師が老婆に水を所望する。老婆は遠方から水を運び快く水を提供したので、大師は水に不自由なこの土地に同情し、御礼に錫杖で地を突いて清水を出した」
弘法大師にまつわる伝説は全国に無数に存在するが、弘法水伝説はこれまでの調査で1489編を確認している。次に多いのが晴明水(安倍晴明由来)の70編で、僧侶では日蓮水の40編であるから、弘法水がいかに多いかがわかるだろう。これらの弘法水は各地で「弘法清水」「弘法水」「弘法井戸」「加持水」「杖突水」「金剛水」「閼伽水」「霊水」「臼池」「硯水」「塩井」などと呼ばれ、古くから神聖な水として大切に利用されてきた。
弘法水の分布を見ると、北は青森県の下北半島から南は鹿児島県の加計呂麻島にまで存在するが、必ずしも一様ではなく、旧街道に沿って点在する地域と、塊状に存在する地域がある。特に弘法大師の本拠地である高野山や東寺のある近畿地方から、生誕地であり八十八カ所霊場のある四国にかけて多数存在するが、水飢饉の頻発する関東内陸部にも多くの弘法水が存在する。逆に新潟、富山、石川を除く日本海側にはあまり見られない。これは豊富な雪解け水の恩恵に浴する地域であったためと考えられる。また弘法水の存在する地域には「杖突」「塩井」等の地名が残されている例が少なくない。
弘法水の湧出形態には独特な特徴が見られる。弘法水は、丘陵地上の地形変換点や山頂直下の谷頭湧水、砂浜海岸にある淡水の湧水が多く、その一方で平野部に見られる井戸、いわゆる浅層(不圧)地下水や崖線からの湧水はほとんど見られない。水の不便な地域の代表的な地域である山頂直下や砂浜海岸で淡水が湧出するという不思議さから、弘法水と呼ばれるようになったものと考えられる。
また「弘法井戸」と称される弘法水のほとんどが湧水であり、井戸であってもその地下水面は非常に浅く、湧水といって差し支えないものが多い。その湧出量は80%が毎秒1リットル以下であり、50%は毎秒0・1リットル以下のごく小規模の湧水である。しかし、これらの湧水が自然災害の多い日本において1200年前から現在に至るまで湧出し続けているかについては、疑問の余地が多い。もしこれが事実であれば、水文科学的には非常に珍しい湧水である。実際には、街道が整備され日本各地に布教ができるようになった江戸時代に、高野聖が弘法大師由来の水として伝えた湧水がほとんどではないかと考えられる。
また、伝説の中には、「ある僧侶が……それは弘法大師だった」という記述が多く、大師の少し前に活躍した行基に由来する水が、弘法大師に置き換わった例もあるのではないだろうか。また、中国では水神としてあがめられている伝説の王朝「夏」の禹王と同様に、日本では弘法大師が水神と同一視されていることから、水の乏しい地域で、干ばつや災害の発生にもかかわらず枯渇することなく湧出し続けたものを「弘法水」として伝えてきたと考えるのが適当であろう。
一方、弘法水の中には、潮汐に感応して湧出量や水位が変化するものや、塩水井戸、白濁水などの特異な水質を示すものが知られている。愛媛県西条市の河口にある「弘法水」は、満潮時は海中に没するにもかかわらず、ほとんど海水の混入は見られなかった。逆に山間にあるにもかかわらず塩水が湧出する井戸は、秋田県二ツ井町(現・能代市)、福島県会津若松市、千葉県館山市、新潟県柏崎市、富山県氷見市、長野県大鹿村などに存在する。また、白濁している地下水が日本各地に散見されるが、一般的な伝説の水の場合には「化粧水」として利用される例が多いものの、弘法水は水質の悪い「悪水」として存在している。また温泉や鉱泉も特異な水質を示す水であり、弘法水としては72カ所知られている。