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「富士講中興の祖」食行身禄の実像 ―「神の使いに」と断食死(2/2ページ)

富士信仰研究者 大谷正幸氏

2014年3月1日

小林君が月行のもとに入門した経緯はわからない。伊勢や志摩では修験道に基づく富士信仰が広く行われていたが、彼の故郷で特にそうしたものがあったとは聞かない。ただ、当時、富士山へ登るには、事前に百日の斎戒をしなければならないとされていた。これは江戸でも京でも同様に言われていたことである。しかし、角行の孫弟子、即ち月行の師は、一生にわたって倫理的な戒めを守らせることで、斎戒を7日に短縮させていた。小林君もそうした点に魅かれたのかもしれない。月行には第一の弟子と実子が既にいた。実子も信仰を継いで後に独立している。小林君は入門した翌年、即ち1688(元禄元)年、月行に率いられて富士山への登山を果たしたが、その道中ある事件がおきた。6月15日、箱根の芦ノ湖で水行をする月行に天啓が下ったのである。その内容は、世界の支配が従来の神仏から仙元大菩薩なる富士山の神へ譲られ、「身禄の世」なる富士山の神による治世が始まったというものである。月行は芦ノ湖や続いて登った富士山においても、世界の真理を包含した「参」という文字を神から受け取った。後に月行は、京の関白邸に、改められた世界を継ぐよう3度陳情し、いずれも門前払いされたという。

これらの出来事は、小林君の信仰人生に大きな影響を及ぼした。もっとも、兄弟子がいたせいか、大したことは教えてもらっていなかったようである。その証拠に、小林氏は第一の弟子が残しているような呪術的な内容の著作がなく、また彼の著作からうかがい知れる日常においても、呪術を行っていた形跡が全く見当たらない。私は、彼がそうした呪術をしなかったのではなく、できなかったのではないかと見ている。

長じた小林君、もとい小林氏は町人として働きながら、日常の信仰を続けた。朝、水垢離をし、富士山の神へ食事と茶と感謝をささげ、真面目に働いた。月行の天啓によって得られた神話では、世界や人を創造し、人の食物として穀物を与えたのは富士山の神ということになっている。世界の構造は当時の身分社会を反映したものであり、小林氏にとって勤労と信仰は表裏一体だった。また年1回の富士登山も欠かしていない。小林氏、いや行者としては食行身禄と名乗った彼は、師が得た神話の構想をさらにふくらませた。創世されて6千年後、神道の神々による治世が1万2千年続き、あの1688(元禄元)年6月15日以降は「身禄の御世」として、創世の神の子である南無仙元大菩薩が永劫にわたって世界を支配するのであると。南無仙元大菩薩は天皇や将軍に智慧を授けることでよい政治を行わせるのであると。

齢62歳となった1732(享保17)年、西日本で大規模な蝗害が起きて、江戸に米が入らなくなったことを機に、小林氏は肉身を捨てて神の使いになることを決意した。米は神が人のために創造したものであり、その流通を妨げるものは悪である。悪人を神に選ばれた師・月行の同行たる自分が排除せん。彼は富士山で断食して死ぬことで、神の使いになれると考えた。そして、彼は翌年の夏、その計画を実行して肉身を捨てたのである。

食行がその身を捨ててから280年が過ぎた。彼のイメージは、根拠のない富士信仰内部の伝統説や現代的な思想に結びつけようとする研究に左右され、様々な虚像で固められてしまった。私は富士信仰の研究者として、師の天啓を受け継ぎ発展させ、そして殉じた彼の実像に、今後も迫りたいと思う。

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