自然と一体の「里山保育」― “本来の教育”を取り戻す(2/2ページ)
真言宗豊山派愛染院住職、木更津社会館保育園園長 宮崎栄樹氏
水面に早苗そよぐ5月の田んぼ。蝉たちが一斉コーラスを響かせる夏の森。アキアカネたちが空中に舞い上がる秋の空。500年来ご先祖様たちが、身を粉にして鍬を振るってきた田畑の匂い。明治維新・戦後の高度成長が捨て去ろうとした江戸以来の農村の原風景。数百年の伝統を大切にするイギリスなどヨーロッパの落ち着き、安定感、安心感が、現代日本の里山にも残されていた。
「永遠に続く家・家族の存在を前提とした明治民法」を捨ててから70年が過ぎようとしている。1組の男女が結婚すると、そこに1代限りの家族ができ、子育てを終えた夫婦2人が老いて亡くなるとその家族も消える。高齢化時代の団地の風景。そこに家族の歴史はなく、町の歴史も民族の歴史もない。あるのは1組の男女の「合意」と「契約解除」。
家族の再生は、その永続性を回復することで可能となる。1代家族の限界は明白である。永代供養墓所の隆盛を止めることは当分難しい。が、30~50年後、日本の人口が8千万人前後(今のドイツ並み)の安定期に入る時、「3代家族」が社会の主流に躍り出るだろう。老壮幼が、先祖代々の思いを引き継ぎながら未来を開いてゆく50年後。その主役こそが今5歳の保育所・幼稚園の子どもたちだとしたら、自ずとその課題は明らかだ。
文部科学省は「学校は全てを解決できない。学校の力には限界がある。国は家族の力にも頼らざるを得ない」と告白した。そして「家庭教育推進事業」を国庫直轄補助事業として各自治体に勧めはじめた。教育基本法でさえも、家族の再生を言いだした。
学校が未来を開くのではなかったのか。学校が全ての人に希望と自信をもたらしてくれる。家族など要らない。イスラエルのキブツ、ソビエト連邦の幼稚園、大躍進時代の中国の保育所が日本の理想であった。が、今キブツは消え、ソビエト連邦の幼稚園は日本のモデルであることを止め、中国の大躍進運動下の保育所は、数千万と伝えられる餓死者と共に忘れ去られた。
残されたのは日本の70万人の引きこもり。いじめられ、暴力を振るわれ、登校拒否をするなどは序の口。40歳を過ぎても子供部屋にいて出てこない自己拘禁の子どもたちがいる現代日本。
心の力を育てる研究会が始まった。テーマは「心のたくましさ」。優しさは大切だが、それは脆く弱々しいものであってはいけない。「たくましい心」は自尊感情だけでなく、弾力性・復元力を持つべきだとするレジリエンス研究会(深谷昌志代表)。事故災害に遭う、試験に失敗する、親友が転校した、いじめられたなど、一時的に落ち込んでも「元気でしなやかでへこたれない子ども」がいる。そのような子どもたちを意識して育てようというのだ。
木更津社会館保育園では、50人近くの5歳児が里山に入る。大人は3人のみ。「危ない」と言われ、「汚れる」と言われて、もう15年になろうとしている。「自然から離れて子供はまともに育たない」(養老孟司)というのは本当だなと思う。リーダー格の子どもたちが中心になって、いつも無事に彼らは山から帰ってくる。汚れても「平気。平気。洗えばいい」という子どもたち。けんかが始まれば、まず子どもたちが、仲裁しなだめる。すぐ先生が呼ばれることはない。道の脇の小川に倒れ込んだ足の不自由な子を、身を挺して抱きあげて、自らは小川にはまった5歳の女の子。強い子は人を助けるのが当たり前。「自己中心」はダメ。人を馬鹿にせず、人を励まし、人の苦しみを我がこととして共に苦しみ、人の成功を我がこととして喜べる子。
「教えない。失敗させよう。子供は失敗するほど賢くなる」(本吉園子)。混沌に道を付け、いかなる混乱にも茫然自失しない。人を信じ、我を信じ、世界を恐れない好奇心いっぱい自信いっぱいの子どもたち。子どもの心に「復元力としなやかさ」を。