イスラームと障碍者-すべて神の予定、輪廻を認めず(2/2ページ)
関西大文学部総合人文学科 比較宗教学専修教授 小田淑子氏
イスラームの神の予定と仏教の縁起論はあらゆる現実、特に不運の宗教的説明原理である。宗教的説明は、理性では説明できない事態を受け入れるために不可欠な説明である。無宗教を自認する日本人も前世の因縁や「ご縁があって」という仏教の縁起論をどこか自明のことと受けとめている。いずれも教義学上の概念だが、民衆の心に深く浸み込んで、それぞれの宗教的世界観・価値観を支えている。それが障碍の捉え方に反映されていると思われる。
イスラームはキリスト教の原罪観念をもたず、人間がなぜ罪悪を犯すか、その原因を問い詰めない。イスラームは人間が悪を犯さないと考えているのではない。シャリーア(イスラーム法)に諸規範が存在することは、信仰者も悪を犯すことを見抜いている証しである。原罪と仏教の宿業は現在の罪悪の原因を神話的過去に求めるが、イスラームは今ここで行う罪悪は必ず終末の裁きで神に罰せられると教える。つまり神話的未来の裁きと罰という未来の方向から罪悪を抑止しようとする。ここに、障碍の原因を追及して恥じるのではなく、障碍者の社会生活を支援する方向を重視する根拠がある。
仏教と神道は地域社会の中核に位置して、人々の暮らしに密接に関わっていた。J・M・キタガワは日本的宗教を「宗教の分業」と捉え、個人が複数の宗教に帰属して矛盾を感じず、仏教と神道などを場面で使い分けてきたと説明する。日本ではキタガワの説明はあまり歓迎されていないが、一定の説得力をもつ。日本では、神道が暮らしの儀礼を担い、仏教は精神面と死者儀礼を担い、江戸時代は儒教が身分社会の倫理を担った。日本仏教は社会秩序維持には消極的な役割しか担わず、例外もあるが、社会倫理に消極的で病院などを作ってこなかった。それも宗教の分業のゆえである。社会秩序の維持に積極的に関与したイスラームと比べると、日本的宗教の特徴が見えやすくなる。
明治時代以後も、障碍者を家の恥として隠しがちで、ハンセン病患者は戸籍を抜かれ、施設に隔離された。ただし、日本が社会的弱者にただ冷酷だったのではなく、幕府や行政がさまざまな援助を行ってきた。江戸時代の小石川養生所も、大火災などの折に開設されるお救い小屋も幕府所轄だった。現代においても障碍者や社会的弱者への支援や施設は公立が多く、宗教は関わらない。「障碍者教育の父」として知られる糸賀一雄が中心となって設立した近江学園は設立後まもなく滋賀県立の施設となり、今日にいたっている。糸賀はキリスト教の影響を強く受けていたと言われるが、糸賀はその施設運営を行政にゆだねた。この行政という面に、神道と仏教、儒教の伝統宗教が深く関与してきたことは否定できない。
現代日本の弱者救済は伝統的宗教の価値観から展開した思想ではなく、近代的な人権思想、福祉思想に基づくものである。阪神大震災以後、宗教者や教団による社会貢献が注目されるようになり、仏教も社会貢献の原理を慈悲などに基づくことを論じ始め、原理を潜在的には有していたと主張している。障碍者を恥じたあり方に今、言及するのは不見識かもしれないが、過去の日本宗教は社会的弱者の支援に積極的ではなく、人々も困窮時に宗教を頼るより行政を頼った傾向があった。この点を認めた上で、新しい近代思想の中で宗教の果たすべき社会貢献を新しく構築するという姿勢が好ましいのではないだろうか。