《部派仏教研究の現状と展開③》日本における倶舎学(1/2ページ)
東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理財団寄付研究部門特任准教授
一色大悟氏
「倶舎学」とは、『阿毘達磨倶舎論(アビダルマ・コーシャ)』と関連文献の研究を通して築かれた、知の総体を指す語である。その核となる『倶舎論』は、紀元後5世紀ごろのガンダーラにおいて、インド仏教部派の一つである説一切有部の教理書として、世親によって著されたのち、関連文献とともに、漢訳やチベット語訳等として東アジア・内陸アジア世界に伝播した。その後、各地域でそれらに対する注釈書・概説書・特定の論題に関する研究書などが脈々と編纂され、それにより仏教知の一分野が築かれた。
日本は、前近代から続く倶舎学の伝統が残る、数少ない地の一つである。そのため明治時代以来、舟橋水哉、オットー・ローゼンベルグ、福原亮厳などの国内外の研究者によって日本倶舎学の価値が認められ、主要文献の概史などがまとめられてきたのだが、議論の内容にまで踏み込んで倶舎学史は研究されてこなかった。それは換言すれば、倶舎学があくまで生きた伝統であり、それ自体が客観的に研究される段階になかったということでもある。
しかし近年、かつて鎌倉新仏教史観や近世仏教堕落論のもとで等閑に付されていたオーソドックスな日本仏教が再評価されるのと歩調を合わせ、筆者を含む幾人かの研究者が日本倶舎学文献を紐解き、その実態を調査しつつある。手前味噌となってしまい恐縮だが、本記事では筆者の科研費(若手研究20K12802)等による研究で明らかになった、近代仏教学の先駆けとしての近世倶舎学像を紹介したい。
一般に部派仏教の教理書である『倶舎論』は、大乗仏教と相容れないものだとイメージされがちである。たしかに大乗の理想は部派の立場を遥かに超越したものとして描かれ、なおかつこの価値観に根ざした実践と信仰が北伝仏教地域では影響力を持ってきた。しかしそうであっても、『倶舎論』が大乗仏教徒に学ばれなかったと考えることは事実に反する。むしろ逆に、本連載の前回で横山剛氏が示した中観思想と倶舎学の関係が示すように、『倶舎論』は大乗仏教の経論とともに学ばれ続けてきた。
倶舎学は、とくに東アジアにおいて仏教基礎学としての地位を得た。それが求められた理由の一つは、『倶舎論』において輪廻と涅槃に関わる仏教語が、包括的かつ体系的に意味付けられていることにあるだろう。つまり倶舎学はいわば仏教語の文法学として、仏教を学び語るために欠くべからざる知識を与えてきた。そのため、たとえば中国の天台智顗は、『倶舎論』に代表されるアビダルマを「仏法根本」(『四教義』)つまり仏教教理の基盤として位置付けている。
日本における倶舎学も、大乗とともに、仏教学習の基礎として講究されてきた。その基礎学としての地位は、日本から玄奘門下に留学した道昭に始まり、その後を一貫する基調をなしたと言ってよいだろう。大正期においてなお、先述した舟橋水哉は、旧制中学卒業の仏教入門者向け受験参考書として、倶舎学の概念体系を解説する『七十五法名目講義』や、練習問題付き『七十五法達意』を出版している。
これに加えて近世倶舎学では、伝承知を学習するにとどまらず、確たる本源に立ち返って仏教を研究する動きが始まった。その第一は、伝承に対する批判的視線の起こりである。
そもそも玄奘訳『倶舎論』とは、いわば仏教基礎学の「教科書」であった。そこでは仏道修行上の要請から『倶舎論』を正確に、矛盾なく理解することが求められる。したがって、学校で教科書の内容を批判的に吟味することがないのと同様に、玄奘訳『倶舎論』は世親が著した『倶舎論』と正確に一致するか、などと問われることはほとんどなかった。その背景には、玄奘が超人的なインド留学によって学びえた仏典の正確な解釈伝承に、余人が異議を挟む余地はない、という通念があった。