「花まつり」を考える(2/2ページ)
浄土宗戒法寺住職 長谷川岱潤氏
4月8日の「釈尊降誕会」の名称は、古くは「灌仏会」であった。その後「降誕会」「仏生会」「仏誕会」「龍華会」など様々な呼称で呼ばれてきたが、近年我が国では「花まつり」と呼ばれることが多くなった。この名称は誰がつけたのかというと、様々な説がある。
浄土宗の近代の巨匠の一人であり、「カルピス」の名付け親でも知られる渡邉海旭師だという説、また慶応大学卒の人は福沢諭吉師だとする説もある。しかし一番有力なのが大正時代、東京浅草今戸の真宗の蓮窓寺住職の安藤嶺丸師によるものといわれている。
安藤氏は「花咲か翁さんお釈迦様」をキャッチフレーズにして「花咲か翁さんが灰を枯れ木にまいて花を咲かせたように、枯れ木のように心落ちている人々に教えの灰をまいて救ったのが、お釈迦様である」と、子どもたちにわかるように説いて、当時の東京市民に呼びかけたといわれている。
花を仏さまにあげるのは、実は仏さまを花で飾ってあげるためではなく、花を見たとき、花を見た私たちの心の中にある一番きれいな心、仏心が引っ張り出され、自分にもきれいな心があることが確認できるから、そして仏さまに一番きれいな心を捧げることができるからといわれている。いわば花は、その人を一番きれいにするものなのではないだろうか。
「花まつり」は以前は「卯月八日」という民俗信仰とのからみの中で、釈尊の誕生と稲の発芽が重なって発展してきたと考えられる。
つまり、生まれ出る喜びの日という願いがあったといえる。誕生という以上、それを生み出す者への感謝が当然起こるわけで、稲の場合は自然であり、人の場合は両親ということになる。この自然なり、両親への感謝の心が花まつりの精神と言える。仏教徒にとっての母の日、父の日は花まつりの日ということになる。
そこで両親に感謝の心を込めた花を贈る日がまさに「花まつり」である。
そして、この生まれ出ることの喜び、生み出すものへの感謝ならば、パートナーと出会うこともまた大切な喜びの日である。ならば両親と限定することなく、唯々好きな人に花を贈る日でいいのではないだろうか。
バレンタインデーやホワイトデーに限定されることはない、自分の一番好きな人、自分の大切な人、感謝を捧げたい人に、お花を贈る日、それこそが「花まつり」であると思う。
釈尊は摩耶夫人が里に帰る途中ルンビニーの花園で休憩された時、摩耶夫人が無憂華の花を摘もうと右手を上げた時、その脇からお生まれになり、すぐに四方に七歩ずつ歩まれてから右手を上げ、左手を下げて「天上天下唯我独尊」と叫ばれてから横になり「おぎゃー」と産声を上げたと『仏所行讃』にはある。
この伝承は釈尊を人とするならば考えられない。あくまでも仏の子だとする前提の伝承である。
摩耶夫人が立ったままお産をすることは、生まれ出る子が仏の子だという証明であり、脇からの誕生は身分が小さな国の王子ということで、貴族と庶民の間だったというカーストの話である。七歩伝説は六道を超えた存在だったことを表し、宣言は仏の子であり、仏教のいのちに関する前提をいうための言葉である。
「天上天下唯我独尊」の言葉はよく誤解されるが、五木寛之氏の言葉を借りれば、「自分の価値は他人との比較によって決まるものではない」ということになる。独尊の尊という字、とうといという字には「尊い」と「貴い」があるが、「貴い」はAとBとを比較していうときに使い、「尊い」は比較することなくその存在自体が尊いときに使われるという。「世界人権宣言」の第一条「全ての人間は、尊厳と権利において平等である」に共通する言葉である。
仏の子として誕生した釈尊を、誕生ではなく仏が降りてきたと表現した人々の心を思い、その喜びを感謝として伝えて行く心を持って「花まつり」をお祝いし、盛んにして行きたいものである。合掌