妙心寺派の取り組みについて ― 過疎地寺院問題≪7≫(2/2ページ)
臨済宗妙心寺派宗門活性化推進局顧問 久司宗浩氏
我々はこの昭和50年代初頭からの地方の変化に気付かない訳ではなかったが、都市部の寺院の経済的充足と発展の陰に隠れて、地方、殊に過疎地域の問題が意識されることはまれであった。この時期は、都市部の発展が地方の疲弊を糊塗し、妙心寺派の宗務行政においては、都市部の教線の拡大と充実が重要な課題と見なされていた。事実としてもこの時期には妙心寺派の檀信徒数は増加し、それによって妙心寺派の通常会計予算も順調に増大していたのである。妙心寺派の賦課金等の基準を定める「寺班・等級」はこの時期に地方寺院の寺班を都市部寺院の寺班が上回ることが顕著になり、戦前の農地や山林に依存した地方寺院の経済力の低下が一層表面化するようになった。このことは宗教団体である寺院も高度経済成長社会にしっかりと組み込まれていることを証明した。
平成年代に入り、オウム真理教事件を発端とした文化庁・所轄庁の諸政策によって、法人備付帳簿の所轄庁への提出の厳格化や不活動法人の整理統合問題などが表面化する事態となった。これらの指摘とともに、都市部においても宗教ばなれが叫ばれ、教線の拡充が思わしくない時代が到来し、妙心寺派も地方の過疎化寺院の問題を直視するようになった。この頃、とある企業の未来予測が宗門人の耳目を集めた。それには、2050年には宗教法人数が2000年の10分の1にまで減少するであろうとの予測がしるされていた。これによって、初めて妙心寺派が過疎地域の寺院対策を実行せざるを得ない状況に追い込まれているという危機感を持たされたといえる。このことに驚愕した妙心寺派では早速その対応策の一環として「明日の宗門を考える会」を発足させたのである。
また、教学面でのアプローチとして「専門道場を考える会」「僧侶育成審議会」の設置等が行われ、これからの僧侶の質の向上を図るための議論の場とした。過疎地域に関して言えば、それらの集落の老人たちにいかに寄り添った布教活動ができるかを模索するものでもあった。
これらの宗務行政の方向性の下に、平成24年に設置されていた「宗門活性化推進局」の機能を拡充し、不活動法人対策などを担当する職員を配置し、実務にあたることとなった。それと並行して、「第二の人生プロジェクト」を開始し、中高年の出家者を養成し、被兼務寺院への赴任を図ることとした。この事業による成果はいまだ微々たるものではあるが、中高年在家者の宗教意識の涵養という面においても、一定の効果を導き出すのではないかと期待している。現在、このプロジェクトによる出家者はすでに50人を超え、寺院の住職や看護職などとして14カ寺に赴任している。
過疎問題は檀信徒の減少の問題ではなく妙心寺派僧侶の意識改革と使命感の再構築に係わる問題であり、これら過疎地域寺院の問題はこれまでなおざりにされていた僧侶本来の在り方を根本から問い直そうとする問題である。そこから我々は逃避することはできないのであり、遠くない将来には単に過疎地域の問題ではなく、現状にさしたる問題を見いだせない都会の寺院にも波及する問題となるであろう。これからの20年は妙心寺派の存続にとって正念場であると言わざるを得ない。