過疎地域における女性仏教者の活動 ― 過疎地寺院問題≪6≫(2/2ページ)
龍谷大准教授 猪瀬優理氏
ご門徒は寺の周辺には2軒、集落外の県内に二桁に満たない戸数が残るのみである。上田師自身、ご自宅は近隣の鯖江市にあり、寺の仕事も通いで行っている。
つまり、光照寺はまさに「限界集落」「限界寺院」という状況におかれたお寺である。
しかし、このお寺で開催される報恩講には80人もの参拝客が訪れ、大変なにぎわいをみせるようになった。
前住職の時代は、寺院の戸の修繕にも手が回らないなどのところがあったが、上田師は多くの人の手を借りながら本堂の屋根をふき替え、御宮殿も新調し、着物帯をリメークして新調した打敷などで内陣も明るくなった。
また、永代経や報恩講の際には、法要の後、ご門徒や仏教讃歌のコーラスグループ「コール・頻伽」のメンバー(他寺のご門徒)など有志が協力して、「大人の学芸会」を開催。メーンの出し物は、仏教的な要素を盛り込んだ「吉崎御坊、二話物語」や「地獄の仕分け人」等、オリジナル脚本による寸劇の上演である。このほか、コーラス発表やリフォームした着物を用いたファッションショーなどを行っている。
光照寺の寸劇は、当地域で広く認知されており、コミュニティーセンターなどの催しに招かれて公演するなど、お寺を飛び出して地域の人たちに仏教の心を伝える活動も行っている。
最近の上演作品は「百歳までしなやかに!」という演目で、有吉佐和子『三婆』にヒントを得たシナリオである。この寸劇は、今年の8月25日にお寺の報恩講で仏教讃歌のコーラスと、日本舞踊のステージとともに上演したほか、同月27日には越前地区老人連合会主催のイベントにおいても上演されている。
内容を簡単に紹介すると、第1幕は旧家の当主にあたる男性が死去、お寺さんが枕経をあげると棺桶の中から音がして、死んだはずの人が「死にとうない…死にとうない…」といいながら顔を出す。再度お医者さんとお寺さんの出番。第2幕は満中陰が済んだ後、本妻・義妹・愛人の間での争いが生じる。第3幕では、3人それぞれの老後の生き方を提案、旧家を小さなグループホームのようにして3人で住むというストーリーである。最後には会場の観客に向けて「①規則正しい生活をすること②栄養も偏らずに食べること③社会参加もして人との交流を良くすること」など、明るい暮らしのためのヒントを投げかけ、歌「人生いろいろ」を会場と共に歌って終わる(約43分)。
最新の劇は未見だが、永代経法要の後に行われた寸劇「吉崎御坊」やファッションショーには、筆者の実習受講生が参加させていただいたことがある。舞台装置や衣装を含めて手作りの劇だが、演じている皆さんが楽しんで演じておられ、メッセージ性も強く伝わる内容となっている。越前地区老人連合会からは来年の公演もすでに依頼されている。
上田師がこのような寸劇を始めたのは「ご門徒さんが輝く場所をつくりたい」という思いからだったという。この寸劇は、「ご門徒さんのためのお寺をつくる」という思いが形になった一つの姿なのである。
そして、お寺で誕生した劇が寺院内だけでなく、地域行事の中にも取り込まれて楽しまれている。何百人もの人数を集めるような活動ではないが、ここには一つの寺院の再生と継続の姿をみることができる。
上田師は「志のある人がお寺を継ぐ」ことを願っている。現在、光照寺の後継者は未定であり、今後のことは分からない。明治初期に建てられた寺の周囲は読経、写経、坐禅に最適の環境。「小さき寺は小さきままで、ご門徒さん、信徒さんと共に手を携えて活動していきたい」と語られる。
今、「過疎地寺院」という場所で暮らしている人々が光を感じる場にすることは、その場をつくる人々の思いと行動、そして協力によって可能であることを、光照寺における上田師の働きが伝えてくれているように思う。