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日本人の山岳信仰(2/2ページ)

日本山岳修験学会会長・慶應義塾大名誉教授 鈴木正崇氏

2019年9月27日
●神仏習合

各地の山の名称には仏菩薩や仏教思想に因む名前が多い。山岳信仰と仏教の融合に伴って、神仏習合の現象が起こった。奈良時代には仏教の論理では日本の神は迷える衆生の一種とされて、寺院に神宮寺を作り神前読経で救済した。その後、神々は仏教の護法善神とされ、八幡神(八幡大菩薩)は僧形の神像で表された。神像の生成も仏像の影響によることが大きい。そして、平安時代後期に本地垂迹の思想が生まれ、インドの仏菩薩が日本に仮に神として現出し民衆を救済するという神仏一体化の思想が説かれた。神々の本地は仏菩薩で、日本では「権に現れた」ので「権現」という尊称を付けた。化身、権化とも言える。

修験は神仏習合に基づいて山岳修行を体系化し、山の神々は湯殿山大権現、鳥海山大権現、箱根山大権現、白山大権現、戸隠山大権現などと尊称され、本地には薬師や観音や釈迦などがあてられた。吉野では金御嶽(金峯山)で修験の独自の崇拝対象である蔵王権現が生み出された。日本各地には権現山が数多くあり、御嶽山や蔵王山、修験の異称に由来する聖岳や天狗岳も各地に残る。明治の神仏分離以前は寺院には鎮守社が鎮座し、神社には神宮寺があり、神社のご神体が仏像であることも通常であった。修験道は、明治元(1868)年の神仏判然令や、明治5(1872)年の修験宗廃止令が出される以前は、各地の山岳信仰に大きな影響を及ぼしてきた。明治以後、修験道は解体され神仏混淆の思想は、神か仏か、神社か寺院かという二元的思考に再編成された。しかし、日本人の発想は山を思想や実践の接合点とする柔軟な思考によって、千年以上も支えられてきたことを忘れてはならない。

●遥拝から登拝へ、そして観光へ

山の信仰は遥拝から登拝へと変化してきた。山麓の遥拝、中腹の祈願、山頂の祭祀、祭祀から登拝へ、山岳寺院の開創、長期に亘る山岳修行などに展開し、密教の影響を受けて山々を曼荼羅と見なして縦走する峯入りの実践を中核に据えた修験道を形成した。修行者は山中を母の胎内と見なして再生する胎内修行を行い、最後は即身成仏を遂げ、究極には自然と一体となる。元々は一般の俗人は山に立ち入らず、僧侶や行者の修行場で、登拝は一年の特定期間に限定し、長期の水垢離や五穀断ちなど精進潔斎して登拝が許された。山中は清浄の場とされ、女人結界を設定し、ある地点から上への女性の登拝を禁じた。いわゆる女人禁制である。女性への禁忌は血穢の意識や地位低下の動きと連動していた。結界は元々は山と里の境界でもあり、山中の地獄極楽との接点で、女人堂や姥堂が建てられ、山の神の姥神を祀り安産祈願がなされた。母なる山の意識が根底にある。

江戸時代には山岳登拝の講が都市民や農民を担い手にして多数設定され、富士講、大山講、御嶽講、山上講、三山講などで民衆が盛んに信仰登拝を行った。山麓には宿坊が整備され、御師と呼ばれる案内人兼祈禱師が成立し、先達として山を案内した。若者が一人前になる修行に山岳登拝は組み込まれ大衆化した。明治5(1872)年に政府は女人結界の解除を命じ、現在は大峯山の山上ケ岳と後山(岡山県美作市)のみとなった。女人結界は、現代の男女同権の立場からは許容できないが、歴史的に形成されてきた経緯を鑑みて中立的立場から考察する必要がある。信仰登山は1960年代の高度経済成長期まで継続し、山がモータリゼーションで観光やレジャーの場になって急速に衰えた。

2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産(文化遺産)に登録され、その中に山岳信仰の拠点である高野山・吉野山・大峯山・熊野山が含まれた。13年には「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」が登録された。国内では山の信仰の場は「伝統文化」として国史跡や重要文化的景観に指定され、文化財化の動きが加速している。修験を担い手としていた早池峰神楽もユネスコの無形文化遺産に登録された。山の信仰は急速に文化や観光の資源としての活用が進められている。16年の山の日の設定を契機に、長い歴史を持ち日本文化の根底にある山岳信仰を通して、自然と人間の調和を問い直し、経済優先の現代人の生き方を再考することが求められている。

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