聖地巡礼と仏典(1/2ページ)
大谷大教授 山本和彦氏
聖地とは何か。そこを巡礼する意味は何か。聖地を考えるには、宗教的な聖なるものだけではなく、政治や経済や社会など俗なるものからの視点も必要である。
聖地とは、日常生活から切り離された特別で神聖な場所である。しかし、多くの人が集まるようになると、そこにはホテルやレストランや土産物屋などがたくさん立ち並ぶことになる。聖地に巡礼に来ているのか、それとも観光に来ているのか、分からなくなってしまうときもあるだろう。地元の商人にとって、聖地は人が集まる場所であり、収入の源泉である。政治的には、結果として選挙の集票につながる場合もある。
インド北部のウッタル・プラデーシュ州のアヨーディヤーは、ヒンドゥー教の重要な聖地である。そこでヒンドゥー教徒とイスラーム教徒との対立により、1992年に暴動が起きた。そして翌年93年にはボンベイ、現在のムンバイで宗教暴動が起こった。この暴動をもとにマニ・ラトナム監督は、95年に「ボンベイ」という映画を制作した。この映画はラブストーリーであるが、若い男女の背後には常に宗教対立があることが、まさに当時のインド社会の現状が描写されており、インド全土で大ヒットした。聖地はバランスが崩れたとき、危険な場所となる。聖と俗とのバランスが保たれてこそ、聖地は聖地としての機能を発揮する。
同じ場所に、たとえばサイパンに慰霊に行く人もいれば、バカンスに行く人もいる。京都は大学の街、学生の街である。しかし、世界中から来る人は観光のためであり、大学には興味はない。アメリカ東海岸のハーバード大学のキャンパスは、ボストン観光に組み込まれている。大勢の観光客がバスでキャンパスに押し寄せてくる。観光している人はジョン・ハーバード像の写真を撮り、生協でTシャツを買って帰るが、大学で学んでいる学生は像やTシャツにはまったく興味がない。同じ場所にいて、同じものを見ても、その人の意識の当て方次第で見えてくる景色は異なるだろう。
仏教には多くの聖地があり、そのうちルンビニー、ブッダガヤー、サールナート、クシナガラは四大聖地である。さらにラジギール(王舎城)、サヘート(祇園精舎)・マヘート(舎衛城)、ヴァイシャーリー、サンカーシャの四つを加えて、八大聖地となる。
ルンビニーは、インド国境近くのネパールにあるブッダ生誕の地である。アショーカ王の石柱に刻まれているブラーフミー文字で書かれた碑文の解読によって、ここがブッダ生誕の地であることが分かった。碑文にはアショーカ王が即位して20年たっていること、アショーカ王自身が巡礼にやって来たこと、ブッダがここで生誕されたことなどが刻まれている。ルンビニーは、1997年に世界遺産に登録されている。それ以降、遺跡は整備され、夜はライトアップされており、急速に観光化が進んでいる。
ブッダガヤーは、ブッダ成道の地である。ブッダはアシュヴァッタ樹、もしくはピッパラ樹の下で瞑想して、悟りを得た。それゆえ、この樹は菩提樹と呼ばれる。いまでも、ブッダガヤーのマハーボディ(大菩提)寺には、ブッダが悟った場所に大きな菩提樹があり、巡礼者はお経を唱え、合掌している。ブッダガヤーは、2002年に世界遺産に登録された。13年にイスラーム過激派による爆弾テロがあり、以前は乱立していた寺院前の土産物屋はすべて撤去され、警備が厳重になった。銃器に護られながらの聖地巡礼には、それなりの緊張感がある。
サールナートは、初転法輪の地である。ブッダはサールナートの鹿野苑で五比丘に最初の説法を行ったことになっている。しかしブッダの最初の説法は、ブッダガヤーにおいてトラプサとバッリカというバクトリアとオリッサを行き来していたかもしれない商人に対してであった。その後、ブッダガヤーからサールナートに赴く途中で、ブッダはアージーヴィカ教徒のウパカに対して説法を試みるが失敗している。そして一般には、サールナートで五比丘に最初の説法が行われたことになっている。彼らはコンダンニャ、ヴァッパ、バッディヤ、マハーナーマ、アッサジという5人であり、その内容は中道、八正道、四聖諦であった。ここで、サンガ(仏教教団)が成立することになる。