近代仏教は「悪」とどのように向き合ってきたか(1/2ページ)
明星学園教諭 繁田真爾氏
2016年10月7日に発表された、日本弁護士連合会(日弁連)の宣言が、大きな注目を集めている。――2020年までに死刑制度の廃止を目指す――。この宣言は一団体が発表した声明であり、組織の活動目標という性格のもので、もちろん法的な拘束力はない。日本政府はその後も死刑制度を堅持する姿勢を崩しておらず、翌11月には金田勝年法相の命令のもと、強盗殺人罪で1人に対する死刑が執行された。
しかし、国内全ての弁護士が所属する日弁連が、死刑制度の廃止を初めて明確に打ち出したこの宣言の反響は大きかった。冤罪問題を憂慮する立場からこれに賛同する者、犯罪被害者や遺族たちの厳罰感情に配慮して反対する声などが交錯し、一部では「舌禍事件」も取り沙汰されて、様々な波紋を呼んだ(瀬戸内寂聴「寂聴 残された日々」『朝日新聞』16年10月14日付)。
宗教界では、死刑制度に教団レベルで公式に反対を表明しているのは、真宗大谷派や大本、カトリック(正義と平和協議会)など、必ずしも多くないのが現状だ。一方、03年に超宗派で結成された「『死刑を止めよう』宗教者ネットワーク」をはじめ、死刑制度の廃止を訴えている個々の宗教者や関係団体は、決して少なくない。
日本近代史や仏教史についていくつか論考を物してきた一人として、私もこうした宗教界の動向に強い関心を寄せてきた。また、死刑制度に賛成か反対かの意見そのものはもちろん、その意見が一体どのような立場や論理に支えられているのかということにも、注目してきた。
例えば、死刑が必要なのは犯罪抑止のためなのか、それとも応報主義の考えによるのか。あるいは死刑が廃止されるべきなのは、生命は誰しもかけがえがないからか、それとも今や死刑廃止国が多数派である世界の趨勢を省みてのことなのか。
私としては、今日様々に議論されている死刑制度の問題は、実はもう少し問題を広くとって、人間における「悪」の問題というべき根源的な次元から、考察される必要があると考えている。つまり重要なのは、この社会に確かに存在し、あるいは私たち自身もそうかもしれない「悪」の問題と、私たちはどのように向き合うことができるのか、という問いなのである。
この問題を考えるためのひとつの手がかりとして、ここでは明治期に活躍した真宗大谷派の藤岡了空(1847?~1924)という監獄教誨師の経験に、注目してみよう。
教誨師とは、刑事施設の被収容者に対して、過ちを悔い改めるよう求め、彼らの徳性を養う道を説く宗教者のことである。現在は全国で1864人の宗教家がボランティアで務めているが、戦前は国家公務員として、全ての監獄に教誨師を配置することが義務づけられていた。
ここで見たい藤岡了空は、監獄教誨が近代日本で制度として確立した草創期の明治20年代、教誨師のトップランナーとして活躍した人物である。その藤岡の経験には、人間の「悪」と正面から向き合うことの重要性と困難さとが、原初的なかたちで表現されているように思われる。
東京の石川島監獄所や滋賀県の膳所監獄などで教誨師を務めた藤岡は、明治20年代に先駆的に監獄教誨に身を投じ、前半生を監獄教誨に捧げた。同僚の僧侶たちに会うと、藤岡は決まって監獄や犯罪の話題を持ち出したため、周囲から「監獄狂」という綽名で呼ばれた。生まじめな藤岡は、教誨師としての職務に没頭し、「一分の時間も私交の為めに徒費する閑はありませぬ」と、ほとんど全生活を教誨に捧げていた。
しかし、監獄教誨の使命に燃える藤岡の情熱とは裏腹に、囚徒たちを前にした実際の教誨は、試行錯誤の連続だったようである。現場の様子を藤岡は具体的に書き残していないが、「其教誨の効を著しく奏せんことは甚だ以て難」しいと痛感し、「疑問又疑問を重ねて遂に胸中暗夜の如き心持」がしたと語っている。特に藤岡が訴えているのは、「懲戒」と「教誨」、つまり寛厳のバランスをとることの難しさであった。
そこで藤岡は、監獄教誨の困難を打開して理想的な教誨を実現すべく、『監獄差入本』(1889年)と『監獄教誨学提要草案』(1892年)の2書を、1年間という驚くべき短期間で書き上げた。前者は囚徒に直接語りかける体裁の冊子で、獄中での看読用に編まれた。「獄則謹守の事」など、囚徒が守るべき規則や心得を、具体的に語りながら解説した内容である。後者は、獄事関係者向けの著作で、現場で役立つ実践的な教誨の方法を盛り込みながら、「監獄教誨学」の試案として提出された藤岡の主著であった。