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ラダックの空と湖 ― チベット高地で仏教を思う(2/2ページ)

精神病理学者 野田正彰氏

2016年9月21日

インドの北に接するが故に、チベット仏教はインド仏教の発展(変質)を少し遅れて受け入れ、インド仏教が消えた後、後期仏教をチベット化し純化してきた。顕教も密教もタントラ仏教も接合され、乾いた岩山の寺院のなかに多数の仏、造形、論理、鮮やかな色彩となって活きている。15年前、ラサ近郊のセラ寺、デブン寺を訪ねたとき、私は垂直の景観と密教との結びつきをここまで感じなかったが、ラダックではくっきりと感じる。ラサに残る仏教はそれだけ高地に生きる人々の世界が抑圧され、削ぎ落とされていたのであろう。

パンゴン湖のささやき

デスキット、フンダルで泊まった後、私たちは美しいシャヨク川の広い川底を四輪駆動車で終日上っていった。丸石の川底の真中に、深くえぐって冷たい水が蛇行する。寄り添ってポプラ、柳の群生、3メートルほどに高くのびる赤い野バラ、セーアという白い小花をつけた灌木。道なき川底の石の上を走って、身体はばらばらになりそうだった。

やがてシャヨク川と別れ、インド軍のキャンプをへてタングツェ。パシミナ山羊やヤクが草をはむ広い谷間を走り抜け、夕刻、やっとパンゴン湖へ着いた。細長い琵琶湖より大きい湖、標高4200メートル。対岸は中国の実効支配地で6000メートルを超える山嶺がかなたに輝いている。ここに外国人が入域できるようになったのは最近のことという。湖は澄みきり、薄い塩水のため藻も付かず、水が透明から淡い緑に色彩を変える深みまで、揺れて映る。私たちの泊まったテントは水際のすぐ上に張られていた。

翌朝早く目を醒まし、湖畔を東へ歩く。私は太陽が昇るにつれ、刻々と対岸へ、赤褐色の礫岩の山脈へ、水鏡の煌めきが去っていく湖のささやきを聴いた。

パンゴン湖。 岩を透かし、薄緑から青緑に、青から紫紺に。 カラコラムの山嶺と語りかけるパンゴン湖。

波は朝日とともに星屑を削り、 悠久の時と合わさって、 水の帯を織る。

岩にささやく 甘い細波、 時に生きているの 行ってしまったの と尋ねているかのように、 岩を打つ音を大きくする。

黒い力を籠めた山脈 そびえる白雪の峰、カラコラム、パンゴン湖。

おまえの命は 私の命と同じくはかないのか、 甘くささやけ、時に強く、

細波がとかす白い砂は 世界が生きてきた証。

湖の彼方をカラコラムと呼ぶべきか、崑崙と呼ぶべきか。雪の斜面を越えて、今もチベットの人びとが亡命してきている。古びた服、わずかな食物。足を凍傷で痛めながら、5000メートルを超す峠を歩いてきている。私はダラムシャーラーのチベット博物館で見た写真、ナンパ峠の雪原で中国兵に狙撃されて横たわる17歳のチベット人(2006年9月30日)の写真が忘れられない。かつて仏教が渡っていった峠を、今もチベットの人びとが難民となって越えてきている。

ラダック仏教は高野山大学・種智院大学ラマ教文化調査団(1977年)がレーの西、インダス川下流のアルチ・ゴンパなどに入って以来、日本の仏教徒にはなつかしい故地となっている。私はヌプラだけでなく、インダス川下流の下ラダック、インダス上流のモリリ湖などを旅し、あの垂直の景観と紺碧の空に浮かぶタントラに魅せられた。成田空港で乗り替えて、目下に見た富士山が小さな丘のようだった。

(野田氏は2016年6月8日から23日までラダックを訪問)

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