富士講の文字をパソコンでつくる ― 独特な「角行系」(1/2ページ)
富士信仰研究者 大谷正幸氏
富士山が世界遺産に登録されたことで、その信仰に目が向けられるようになった。富士信仰のうち、富士講やその派生である不二道、また明治時代になって彼らが様変わりした実行教・扶桑教・丸山教といった教派神道諸教団などを、筆者は大きく「角行系富士信仰」と呼んでいる。「角行系」とは筆者の造語で、「自らの富士信仰が角行藤仏(1541~1646)という行者に由来している」と自覚する集団と個人が含まれる。「富士講」には修験道に基づく中部・近畿地方で行われるものと、主に関東で行われる角行系に属するものとがあって、二つの習俗は全く異なっているが、本稿の「富士講」はもっぱら角行系の富士講を指している。
角行の信仰は富士山の神仏を、漢字のへんやつくりを彼らが改めて組み合わせた独自の文字で表現しようとするユニークなものであった。例えば「天・元・南・八」(厳密にはそれに近い字形)を組み合わせて「チチ」、「イ・酉・人」を組み合わせて「ハハ」という字を作り、2柱の神の名前とする。御神語と呼ばれる神号もこの文字によってできている。角行以来、信仰の当事者たちはこの文字を神聖なものと尊んできた。仏教や修験道に由来する他の山岳信仰にこのような慣習は見られない。この文字こそ、角行から派生した富士信仰の独創性を端的に象徴しているのである。ただし、使われた当初からどうやって書くのか伝授するようなものではなかったらしく、書く人によって筆づかいが異なっている。角行系富士信仰諸派の内部では、教義をはじめとする諸情報は筆写の繰り返しによって伝えられてきた。書法も伝授されないのに筆によって書かれてきたので、同じ文字として認識されるのに、例えば「イ」か「彳」か、また「木」か「扌」か「犭」か、用いられる漢字のパーツが全く違うことが珍しくない。
富士信仰研究の世界ではこの文字を「異文字」などと呼んできたが、筆者は角行系の諸派だけが用いることを強調したいので、「角行系文字」と呼んでいる。角行系文字は伝統的に108文字あったと言われていたらしいが、よく使われるものは20種以内、特殊なものを数えても100種は超えない。ただし、使われる漢字のパーツが違うものを別として考えると100種以上になる。
角行系文字は、ごく一握りの人たちによって創られ、使われてきた。あくまで角行系富士信仰の教義文献に現れ、また行者の名前として使われるだけである。したがって字書の類には全く掲載されていない(「忡」のように、たまたま字の形が既にある漢字と同じになってしまったものはある)。そのような文字を現代人が扱うことは実に難しい。富士講やその他の角行系富士信仰諸派による石碑や古文書に書いてあることを活字にする必要があれば、そのために漢字を使う以上の苦労を強いられる。活字印刷では新たに活字を造ったり、活版印刷ではその文字だけ手書きとしたり、または文字での表現をあきらめて発音だけカタカナで書くなど、印刷の都合に応じて対処された。
しかし電算技術の進歩により、今や原稿を書いて編集し、印刷するところまでもがパーソナル・コンピューター、すなわちパソコンによって行われている。梵字はパソコンでは表現しにくいが、入力ソフト『今昔文字鏡』をはじめとしてフォントが数多く作られている。同様に、パソコンで角行系文字を使えるようになれば、誰でも容易に、角行系富士信仰の遺物に書いてあることをより正確に表現できるようになるはずだ。また、書き手によって同じ文字でも形が少しずつ異なる、その違いも表現できればより好ましい。
パソコンで表示できる文字は文字コードとして決められており、その一つ一つの文字に対してある一定の仕組みに従ってコードポイントという番号がつけられている。例えばひらがなの「あ」は、UTF-16という方式であれば「U+3042」となる。文字コードに収録される文字数は世界中にある各言語を表記できるよう年々増え続けているが、角行系文字が加えられる見込みは今のところ絶望的である。従って使用者が自分で文字を作って登録するよう、あらかじめ文字を決めていない番号(外字領域)に作ることとした。文字コードに対して、字の形や書体を決めるプログラムをフォントという。パソコンをお使いの方ならば○○明朝や××ゴシックというフォント名をご覧になったことがあるのではないだろうか。