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第22回「涙骨賞」を募集
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第22回「涙骨賞」を募集

生きる力~その先にあるもの~ ― 人生の価値、自ら深める(1/2ページ)

がん患者グループ「ゆずりは」代表 宮本直治氏

2014年7月18日
みやもと・なおじ氏=1960年、兵庫県生まれ。大阪・北野病院薬剤部勤務薬剤師。2007年に胃がん手術を受け、「生きる」転機を迎える。浄土真宗本願寺派僧侶。がん患者グループ「ゆずりは」代表。あそかビハーラ病院研修生。ビハーラ医療団所属。

昨日・今日・明日へと時間は真っ直ぐ進むことが常識なのに、突然〈死〉という方向にベクトルをねじ曲げる細胞が己の中に見つかる。そんな……「まさか」。

私の場合は7年前。震える膝頭を押さえていた待合室、心臓の鼓動が響く緊張感、息を止めてつかんだ診察室の扉の白い棒、それらは覚えているが、診察室を出てからの記憶は少ない。

覚えているのは胃がんを告知された帰り道に「見慣れた景色」が違って見えたということ。ステージⅢ、5年生存率60%という、仕事上よく口にする数字でさえ、自分の事となるとうまく処理することができず、時の流れから取り残される孤立感に包まれた。

その3年後に浄土真宗本願寺派僧侶となった私はビハーラ活動者への道を歩み、同派が開設した緩和ケア施設・あそかビハーラクリニック(現あそかビハーラ病院、京都府城陽市)の研修生となった。

残り時間が数日~数週間という人の言葉に宗教家として耳を傾ける時間は、ベッド699床・医師220人・看護師750人という規模の病院、先進医療を提供する場で働く私にとって大きな意味を持った。その一つ、「医療とは何なのか?」。その問いを自分の中に持つようになった。それまで考えもしなかったことで、まず辞書で言葉の意味を調べた。

「医療とは、病気という名前で呼ばれる個人的状態に対し、それを回復させるか、あるいは悪化を阻止しようとしてとられる行為をいう。その内容は病気を診断し治療することであるが、実施にあたるのは近代的社会では法律的にその資格を独占的に与えられている医師が中心になるところから、医師の行う行為一般に拡大されることもある」(大辞林第二版)

根本は医術で病気を治すことなのだが、医療がサービスを提供する側の欲望や行動によって拡大されるものだとわかった頃、あるテレビ番組を見た。

お酒ですぐに顔が赤くなる人が飲酒すると食道がんになるリスクが高く、さらに喫煙でリスクが190倍になるという情報。緑茶は女性が胃がんになる確率を下げる、にんにく成分ががん細胞を消滅させるなど……科学進歩のおかげで健康な生活が長く過ごせますよ、というメッセージがたくさん詰まっていた。

ささいな初期症状も見逃さないよう、受診を勧める声や最新のがん治療を語る専門医の言葉は、まるで神様や仏様からの真実のお告げのごとく聞こえてくるのが不思議だった。そして番組を見ながら「皆が同じ位置から生を見てしまう」と思った。生にこだわる人間の不安をあおるものは研究データとも言えるのではないか。そう考えると、「人間が生に執着する以上、どんなに医療が進歩しても生老病死の中の〈病への不安〉はなくならないのだろう」という漠然としたイメージが、確信に変わっていった。

研修生経験の二つ目の意味。静かに過ぎゆく時間の中で人は枯れるように亡くなる。近い将来の私、そして患者会の人もこうなるのだ。それまでの時間は本当に短い。

患者の方に付き添われているご家族にも自分の思いをしっかり伝えてほしいという気持ちで病室に行った時、失敗した。その思いがそのご家族を苦しめていたのだ。私が良いと思っている枠の押し付けだと傲慢な己の姿に気づかされ、ふさぎこんだ。残り少ない時間にそんな思いをご家族に持たせてしまった自分を責め、しばらくクリニックへも行けなかった。

苦しい日々の中、やがて一つの思いが湧き上がってきた。「歩んできた人生や最期が良かったかどうか、その答えはいつもその人の中にあるのだ」と。ケアを提供する側の物差しは必要ない。できることは、ただ傍らにいてその方を尊重して差し上げるだけ。その人の思いが仏様の教えにつながっている必要もなく、ただ淡々と過ごす旅立ちでもいいのだと思えた時、雲が晴れた。

その時、懐かしい声が聞こえていた。「人間が死ぬ時には、自然という大きな、大きな仏様が迎えに来てくださるから、何にも心配しなくていい」。私が師事していた真宗大谷派の僧侶、故野田風雪先生が語られた言葉。お浄土に暮らす先生のお心を、今また頂けたことに手を合わせた。

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