「原発ゼロ社会への道」― 宗教的観点から考え、討議深めたい(2/2ページ)
上智大教授 島薗進氏
こうした倫理的判断は、日本の宗教団体が原発災害を踏まえ脱原発に向けて示してきた考え方と符節を合わせている。全日本仏教会が11年12月1日に公表した宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」では、「日本は原子爆弾による世界で唯一の被爆国であります」と述べ、「私たち日本人はその悲惨さ、苦しみをとおして『いのち』の尊さを世界の人々に伝え続けています」と述べている。
また、「利便性の追求の陰には、原子力発電所立地の人々が事故による『いのち』の不安に脅かされながら日々生活を送り、さらには負の遺産となる処理不可能な放射性廃棄物を生み出し、未来に問題を残している」という事態を強調している。
倫理的な判断を重んじる「脱原子力政策大綱」の立場は、福島原発事故被害をどう受け止め、どのような復興を目指すのかという問題を論ずる章(第1章)でも示されている。福島原発からの復興について、政府側は産業の復興を重んじ、たとえば巨額を投じてがん治療施設を建設することを掲げている。
他方、帰還の促進を急ぎ、帰還を選ばない人たちへの支援を打ち切る措置を取ろうとしている。こうした物財中心の復興は避難地域の住民と社会学者の討議で明らかにされているように、「人間なき復興」とならざるをえない。これに対して、「脱原子力政策大綱」では「人間の復興」を目指すべきだとしている。「被害者一人一人が尊ばれ、良き生活への希望を取り戻し、それを創り出すことができるような」復興のありかたである。
また、「脱原子力政策大綱」は終章で、「『原子力複合体』主導の政策決定システムの欠陥と民主的政策の実現への道」を示してもいる。「原子力複合体」とは「原子力ムラ」とも呼ばれるもので、政財官から学界・報道機関までを巻き込み、原発推進勢力が一体となって特殊利益の追求を行ってきた体制だ。「原発マネー」で人々の同意を取り付けるようなシステムは民主主義的な公論の形成に反するもので、倫理的にも支持できるものではない。原発をめぐり道義にかなった政策決定の仕組みを目指すことは、脱原発への歩みを進めることと表裏一体のものとなる。
『原発ゼロ社会への道――市民がつくる脱原子力政策大綱』は、今後、多様な立場の研究者・専門家や政治家や市民らとの討議を経、具体的な政策の具体化に向けて、さらにその内容を練り上げていくことになる。その際、異なる立場の人々を排除するようなことはない。むしろ多様な見方をする人々の間で積極的に討議を行うことを歓迎する。公論を活性化することは、「脱原子力政策大綱」の主要な目標の一つである。
今後も深められる討議課題の中には、日本の宗教界が強い関心を寄せる論題も含まれている。「エネルギーと脱原発」という主題は、「暴力と平和」という主題と重なりあうものだ。
社会は特定の宗教的な考え方を押しつけられることはまったく望んでいない。だが、直面する倫理的な問題について宗教的な観点を踏まえた考え方が提示されることは、豊かな公論の展開に大いに貢献するはずである。原発をめぐる倫理的討議を深めようとする多声的な公共空間に、今後、ますます力ある宗教的な声が響くことを期待したい。