お寺づくりに直結する「僧侶の人柄」―「誰が言うか」に大きな価値(1/2ページ)
「未来の住職塾」講師 井出悦郎氏
未来の住職塾を開始して2年がたつ。全国で200を超えるお寺が参加し、お寺のビジョンと行動計画を具体化している。1年間のプログラムを通じて自らのお寺の進む方向性が明らかになるにつれ、受講生の表情はとても活き活きとする。その変化は、お寺や僧侶の魅力を閉じ込めていた目に見えない力から徐々に解放されていく歩みとも言える。
お寺や僧侶に代表される日本仏教の魅力とは何か。回答は個々人で違ってよいし、回答が多様で自由であることが日本仏教の魅力でもある。
私自身のことを言えば、それは「得も言われぬ人柄の良さと、それによって包み込まれる安心感」であった。ある仏教系大学とのご縁が魅力に気づかせてくれた。当時の私は東京で資本主義の最前線のような働き方をしていたが、いつしか時間を見つけてはその大学を訪れることが楽しみとなり、人柄の良さがじわじわと身に染み入ってくる感覚があった。
この経験は私にとって価値観の転換となり、「仏教にこれからの時代の人づくりのヒントがあるのでは」という直観が芽生え、現在の活動につながっている。
日本とグローバルのつながりが強まる中、競争社会はさらに深まっていく。行政の財政難で福祉のセーフティーネットも劣化していくだろう。ますます苛烈になる世の中で、住職をはじめとした僧侶の温かい人柄はとても貴重な頼るよすがになりうる。それこそが宗教者の本分ではないだろうか。
人柄は教化にも資する。包み込む人柄が相手の心の緊張をゆるめることで、僧侶の人柄を陶冶している目には見えない思想・世界観に人の関心をいざなうことにつながる。お経も法話も中身それ自体はありがたいものだが、結局は「誰が言うか」にありがたさは極まる。
今後は、伽藍よりも目に見えないソフト面の充実がお寺の盛衰を左右するだろう。伽藍は朽ちるが、人柄は朽ちない。僧侶の人柄そのものがお寺づくりに直結する時代であり、良き人柄の後継者への継承にも取り組む必要がある。
世の中が年々加速度的に変化する中、お寺の現状はどうか。将来に不安があるものの、曖昧で漠然とした危機感に包まれているのがほとんどのお寺の実態だろう。
多くのお寺の方々と話すと、お寺が社会を見る「窓」が限られていると感じる。社会を見る窓がテレビと檀家等に限られ、社会をとらえる視野が狭い。少子高齢化、過疎化、宗教儀礼の減少等、NHKの番組で聞いたような内容がそのまま課題としてとらえられている。
マクロの変化は、自坊とよほど密接に結び付けて考え、具体的な課題に落とし込まない限り意味がない。そして、ミクロの話は檀家に関することが中心のため、マクロとミクロの間に位置する地域社会の現状が浮かび上がらない。
昔は檀家と地域社会が同心円状だったが、現在はその構図が崩れつつある。地域社会の変化にお寺が気付かず、お寺が地域社会から取り残されることが危惧される。
今こそお寺や僧侶は檀家をはじめとした地域社会が何を求めているのか、徹底的に受け手視点に立ち、自らの価値を再認識する必要がある。
仏教という普遍性に立脚し、長い伝統に育まれてきたお寺は価値の塊である。伽藍等の目に見える価値は分かりやすいが、それ以外にもお寺はかけがえのない価値を膨大に培ってきた。お寺と外部との関係性、住職や寺族の力、組織力等、お寺の価値を明確に認識することが重要である。
私たちは「お寺360度診断」というお寺に眠る価値を掘り起こす診断を実施している。この診断は、お寺と関係が深い方々(檀家、地域住民、業者、寺族等)に評価してもらい、定量スコアと定性コメントでお寺の価値を可視化する、いわば「お寺の健康診断」のようなものである。
特にコメントは、長年付き合っても直接は言ってもらえない金言にあふれる。実際、住職の人柄や寺族・スタッフの心をこめた人々との触れ合い、それらを通じて受け手が得る安らぎ等は、お寺が考える以上に評価されている。実際のコメントを幾つか紹介しよう。