ダボス会議に参加して ― 世界の人々が仏教に期待(2/2ページ)
妙心寺退蔵院副住職 松山大耕氏
ダボス会議では、登録すれば誰でも参加できるオープン・セッション、招待者だけが参加できるプライベート・セッション、そして、参加者の中から特にこの人に会って話がしたい!という人に個人的にコンタクトをとって面談するバイ・ミーティングというのがある。
今回、北河原猊下に直接会って話したい、と世界中から個別ミーティングの依頼があり、限られた時間の中、イギリス、中国、ニュージーランド、シンガポールの人たちと面談した。世界中の戦地で活動するNPOの代表、中国の政府機関で働く人、オックスフォード大で哲学を教えている人など、いずれも20代もしくは30代だった。
資本主義経済の煩悩にまみれた世の中で、仏教の教えをどのようにビジネスに生かしていけばよいか、戦争で敵味方に分かれてしまった関係をどのように修復・和解していけばよいか、日本と中国に代表されるように地域間の摩擦を解消していくには宗教や文化レベルでの交流が一番大事なのではないか、いろいろな質問があったが、猊下はすべての質問に真摯に答えておられた。
特に印象に残ったのは、日中関係をどのように改善させればよいかという質問に対して、猊下が鑑真和上のお話をされたことである。鑑真和上は5回にもわたる渡航の失敗、失明にもかかわらず日本に戒律を伝えに来られた。まさに、日中交流のパイオニアである。
それから1300年の時が流れ、上海万博で東大寺の鑑真像が中国に渡った。鑑真和上は江蘇省・揚州の出身だが、それを聞きつけた揚州の共産党書記からぜひ鑑真像に里帰りしていただきたいと要請があった。折しも、尖閣諸島問題が起きて、反日運動が最も大きくなっていた時期。一度は中止も考えられたが、揚州の政府からどうしてもお迎えしたい、という依頼があり、里帰りが実現した。その際には猊下も同行したが、街はみな大歓迎でパレードのように大勢の方が集まり、衛星放送で全土に中継されたという。
日中の交流は千年、2千年の歴史がある。鑑真は1300年たった今もなお、こうやって日中の橋渡しをしてくださっている。尖閣問題に象徴される日中間の問題はここ50~100年ほどの話であって、私たちはもっと長い目で交流をしていかねばならない――猊下はこのようにおっしゃり、質問者もいたく感動していた。
中国政府で働く若手のリーダーは、「いま、中国は超のつくほどの資本主義にまみれている。残念ながら、文化大革命によって宗教や倫理観というものが根底から破壊され、私たちのよりどころはマーケットしかなくなってしまった。しかし、高成長が終わろうとしているいま、少数だが、中国の若者で自分たちが失った大事なものをもう一度取り戻し、生きる指針を見つけたいと思っている人もいる。私は仏教を信仰しているが、ビジネスの世界にあっても、政治の世界にあっても、中国の人々を正しい教えで導きたいと感じている」と語っていた。
ダボス会議でのこうしたさまざまな出会いに、私も大変勇気づけられた。難しい問題は多いが、私は自分たちの世代に大いに期待し、将来は悪くないと考えている。私も今回体験したこと、感激したことを忘れず、精進していきたいと思っている。