釈尊と衆生の親子的関係 ― 経典に多くの表現事例(1/2ページ)
立正大准教授 田村完爾氏
世界の主要な宗教では、絶対者を父に、人類(または信仰者)を子に比することが多い。例えば『旧約聖書』では神を直接「父」に比する表現が27箇所ほど、『新約聖書』では240箇所程度みえる。対し『旧約聖書』を参照しつつ独自に編纂された『聖クルアーン』およびイスラムの教えでは、意識的にアッラーを親に比さない。しかしアッラーの厳格さは、『旧約聖書』の、父としての唯一神のそれと酷似する面もある。また、世界の土着的宗教には神を母に比するものも多い。このように考えると、絶対者と人類(信仰者)の「親子関係」を研究することは、宗教全体の根源性を探ることに繋がると思われる。
それでは、仏教ではどうだろうか? 私は天台大師智顗や日蓮等の視点から、仏教の教理思想を全体的に把握しようとする立場に身を置く。ことに智顗は、インドから東アジアに個別に流伝し漢訳された諸経論の教理と実践を有機的にまとめ、その全容を解明しようと試みた。その方法論は文献学とは一線を画すが、人類の叡智の一翼としての力動的な仏教思想・哲学の敷衍・深化・展開等を巧みにまとめている。この智顗の視点を通して、釈尊と衆生の父子的関係について、俯瞰してみたい。
まず智顗が参照した漢訳諸経論を概観し、ついで智顗における帰着を見てみよう。なお便宜上、経典の成立順や訳出順でなく、智顗の「一代五時判」に沿って経論の説示を並べることとする。一代五時判とは、漢訳諸経論全体を一大仏教ととらえ、便宜上、釈迦の一生の説示に当てはめ、五つの時節(華厳時・鹿苑時・方等時・般若時・法華涅槃時)に区分して、仏教の思想的深化や収束、有機的連関等を探る方法である。
釈尊が30歳で成道した直後の経として編纂された『大方広仏華厳経』(60巻)には、仏菩薩を直接「父」「父母」と示す表現が6箇所ずつあるが、全体的に母より父の面に比重を置く。特に王と王子の関係を用いて経典の継承を説く。中でも灌頂(水を頭頂に注ぐ儀式)の意義を重んじ、灌頂を、王(仏)から王子(菩薩)への譲位、あるいは太子(菩薩)としての即位(得度)に比す。そして、この経の継承者を転輪聖王(世界を統一する人王)の太子に擬し「如来法王の真の子だけにしかこの宝の経は受け継がれず、継承者にその素養がなければ、この経は則ち滅するであろう」と述べ、厳しい態度で経の継承を要請する。
また、菩薩は般若(さとりを照らし見る智慧)を母、大方便を父とし、五波羅蜜をもって養育されるとも示す(この表現は般若経典や『大智度論』と類似する)。さらに、菩薩は仏の家に生まれ巨富を得、家の法律に順じ、王の太子となり、過去・現在・未来にわたり仏の家を治めるとする。それはすなわち仏の種姓(血族、部族)に住し、三宝を断ぜず、一切の菩薩の種姓を守護することを意味するという。
小乗の経論は、仏教の思想的展開の便宜上、釈尊の布教の初期、つまり青年期(30~42歳頃)に配され、鹿苑時と称される。ここでは釈尊を直接的に父母に比する叙述は少なく、父母を迷いの元とする叙述もある。しかし釈尊を母に比する表現は『雑阿含経』に間接的に少々みえ、『増一阿含経』では法を母、仏弟子を子牛、また如来を母、新学の比丘を子牛に比する箇所もある。『中阿含経』には「日種族の親」として釈尊を礼拝する場面がある。法顕訳『涅槃経』では、阿難が執着の心で「慈父(釈尊)を失う」と嘆く場面がある。智顗閲読の阿毘達磨論書では『阿毘曇毘婆沙論』に1箇所、師弟関係を父母への敬愛に比する以外は、仏陀を親に比する表現はない。
一方、大梵天王を衆生の父母とする叙述が多数の経論にみえる。これは外道の基本的教説であり、初期の仏教文献では仏陀をことさら父母に比することを避けた可能性もある。この傾向は聖書とクルアーンの関係に類似する。大乗に至り、釈尊を父母に比する教主観が本格化したと推定される。