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「宗教」としての「日蓮主義」― 社会の指導原理めざす(2/2ページ)

大阪大日本語日本文化教育センター非常勤講師 ブレニナ・ユリア氏

2014年2月13日

智学の「日蓮主義」は、宇宙生命を貫く「霊」、人間をふくめて一切のものの根底にある九識、つまり原理としての日蓮という考えを中心にし、日蓮自体がすべての「プリンシプル」、「主義」になる。まさしく「日蓮主義」という言葉でしか表せないものであった。

また、当時の仏教界において大きな影響を及ぼした大乗非仏説論、つまり、大乗経典は釈尊の説いたものではなく、後世につくられたものだとする説への対応も、智学と日生の日蓮仏教の再解釈においてはその違いが見られる。

智学は、仏教を末法以前の「普通仏教」と末法以後の「特別仏教」に分け、大乗非仏説に対抗するために仏教の教理そのものをインドで生まれた釈尊ではなく、日本で出現した日蓮に直結させようとした。つまり、釈尊ではなく、日蓮を通して信仰実現を説く日蓮主義者にとっては大乗が仏説か否かは意味のない議論であるとした。

一方、日生は、上座部仏教の経典から大乗仏教の経典まで一切経典が、仏説の一貫した教義をあらわしたものであるとし、仏説としてより信憑性のあるとされる阿含の経典と、大乗経典である法華経の内容との関連性の研究に力を入れる。それは一切経典を貫くひとつの教理、真理、それらの統一性を強調するためであった。

日生は、仏教教理を仏説・非仏説、正像法向き・末法向き、あるいは、インド仏教・日本仏教に分けることよりも、時間的にも、空間的にも存在する統一的な仏を教義的に構築することに関心を持ち、仏教統一論を主張したのである。

さらに、両者は、仏教をキリスト教に対抗しうる宗教とするには、明確な信仰意識が必要であり、キリスト教においてはキリストという人格が宗教信仰の基盤となるように、その意識の中心に実在の人格をおかなければならないと考えたが、智学の場合はそれが日蓮の人格であり、日生の場合、釈尊の人格であった。

両者の宗教思想は、近代社会における種々の問題を克服する信仰を浮かび上がらせ、理性・感情、神秘・合理、歴史・真理などの対立・矛盾を超克し、それぞれの調和を目指したものであったが、智学の「日蓮主義」は日蓮をすべての原理、プリンシプルとして位置付けた日蓮信奉であるのに対し、日生の「日蓮主義」とは、日蓮が主義としたものを信仰の中心に置く釈尊信奉であったといえよう。

こういった「日蓮主義」を智学と日生は狭い意味での「宗教」の内に閉じこめず、国家や社会の問題、文化や文明の問題に積極的に関わっていく日蓮仏教の在り方として示そうとしたのも事実である。両者にとっては「宗教」という言葉が、信仰と繋がるものだけでなく、社会・国家・文明の「指導原理」として認識されていたことが後代に「国家主義者」と評された一因となっていくのである。

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