韓国における卵子提供 ―「同病相憐」としてのエッグ・シェアリング(2/2ページ)
元南山大南山宗教文化研究所研究員 渕上恭子氏
法施行後も卵子売買が一向になくならず、05年10月、黄禹錫教授の売買卵子受給問題が発覚して、未曽有のスキャンダルに発展したことから、「生命倫理法」はその問題点を露呈し、改正を余儀なくされることになった。
同法の改正にあたって、卵子の無償提供の是非とともに問題になったのは、親族に代わる卵子ドナーのリクルート方法であった。晩産化が顕著な今日、親族による卵子の提供は難しくなっており、卵子提供を必要とする女性は売買という手段に訴えてでもドナーを探す他なくなっている。そうした中で、赤の他人のために自発的に卵子を提供してくれるドナーを探し出すのは不可能に近いことである。そこで注目されたのが、かつての韓国で患者同士の助け合いとして行われていた「卵子の共有」、すなわちエッグ・シェアリングであった。この方法は、卵子提供に伴う実費補償を認め、治療費を分担することを条件として、不妊女性同士で卵子を融通し合うもので、健康な女性からの卵子の採取が回避され、卵子提供者の不妊治療費の負担が軽減されるという利点がある。
この方式の導入に対し、実費補償の承認はお金に窮したドナーを卵子売買に誘引するという批判が上がった。だが何の補償もなく自発的に卵子を提供する女性がいるとは考えられない以上、ドナーへの補償はやむを得ないものである。そうなると、不妊治療を受けている女性が卵子ドナーとなるエッグ・シェアリングであれば、実費補償を不妊治療費の補助と見なすことが可能で、卵子売買を排しつつドナーを確保する道が開かれることになる。そうした議論の末に、エッグ・シェアリングが、親族による無償卵子提供の代案として認められることになった。
かつて不妊患者同士の助け合いとして行われていた「卵子の共有」を、卵子売買の防止を図る「生命倫理法」の下で復活させたエッグ・シェアリングには、次のような倫理的意義が見出される。
商業的卵子提供が盛んな今日、世の不妊女性達は、お金に糸目をつけずに優良な卵子を買い求め、「パーフェクトベビー」を産もうと躍起になっている。だが人間の資質は遺伝子によってのみ決定される訳ではなく、大金を投じて優れたドナーの卵子を買ったところで、その素質が生まれてくる子に受け継がれるとは限らないものである。エッグ・シェアリングが選択されることによって、そうした商業的卵子提供の盲点が認識され、人々の意識に潜む優生思想や金権主義が是正されてゆく可能性が見出される。
ドナー層が限定されたエッグ・シェアリングには実施件数の制約があるものの、そもそも卵子提供のような法的・倫理的問題のある施術はそう簡単に行われるべきではなく、お金さえ払えば、思いのままに施術が受けられる商業的卵子提供は多くの問題を含んでいる。昨今の日本からの渡韓卵子提供にみられるように、グローバル時代にあって商業的卵子提供が国境を超えて広がってゆく今日、卵子ドナーが不妊当事者に限られるエッグ・シェアリングは、卵子提供の乱用に歯止めをかけ、卵子売買ツーリズムを抑止する方策として評価されるであろう。
法改正後、「卵子売買カフェ」に対する監視が厳しくなる中、不妊クリニックの掲示板に、卵子ドナーを探し求める患者の書き込みが上がるようになった。これらは卵子売買をほのめかすものではなく、他者の助けを求める不妊女性からのエッグ・シェアリングの呼びかけと見るべきで、不妊クリニックはそうした患者の橋渡しをするよう配慮する必要がある。不妊患者がエッグ・シェアリング制度を活用できるよう、「生命倫理法」を主管する保健福祉部(厚生労働省)がこのシステムを周知すると同時に、エッグ・シェアリングの成果についての情報公開を行って、社会の理解を深めてゆくことが期待されている。
卵子提供をめぐる生命倫理問題が論議される今日、1990年代の「卵子の共有」に遡るエッグ・シェアリングが、優生思想と金権主義に支配された卵子提供を是正するための方策として見直されることになった。堅固な父系血統主義の伝統の下で、卵子提供が容認される韓国社会に、エッグ・シェアリングの輪が広がり、「同病相憐れむ」不妊女性同士の共苦共感に基づいた生命倫理が構築されてゆくことが望まれる。