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《部派仏教研究の現状と展開①》説一切有部におけるアビダルマの歴史(2/2ページ)

佛教大仏教学部専任講師 田中裕成氏

2024年9月26日 09時31分

彼らは、論蔵の集大成でもある『発智論』の教義を骨格として教えの体系化に当たった。その際に、経蔵中に現存する釈尊の教説であったとしても、問題や矛盾がある場合は「未了義経」(合理的解釈を施さないと消化できない教え)であると切り捨て、釈尊が経蔵中に説示していない教義であっても、「隠没経」(過去に散失し、現存していない経典)に説かれているものを阿羅漢たちの過去世を透視する力によって確認されたとして導入を図った。さらには、『発智論』の教義であっても問題があった場合は批判し、不適切であれば退け、理論や証拠を再構築した。彼らは聖典でも個々の宗教的体験でもなく、ただ合理性のみを重要視し、それによって完璧な教義体系の形成を目指したのである。

一見すると彼らの編纂方針は仏説や仏意(仏の本懐)から大きく離れた、傲慢で身勝手なものに見えるかもしれない。しかし、この方針すら彼らにとっては合理的観点から問題がないものであった。

釈尊は一切智者(あらゆる物事を知っている存在)である。そのため、正しい解釈であれば、仮に釈尊が在世時に言葉にしていなかったとしても、未来に新しい解釈が登場することを一切智者である釈尊は知っていたことになる。そのため経典に説かれていなくても、合理的で正しい解釈であれば、仏説と同じ価値があると考えた。

こうやって彼らは「合理性」の中に仏意を見出し、合理性という仏意のもとに新しい解釈を次々と創出し、異教徒の宗義をも取り込み、新たなる完全無欠の釈尊の教えを創出していった。

『婆沙論』の成立に伴い、有部の主流派の人々は三蔵中の経蔵や論蔵ではなく、論蔵の二次文献であるこの『婆沙論』の教義や解釈を最も重要視するようになった。そして、自らを毘婆沙師(『婆沙論』に立脚する者たち)と名乗った。

また、彼らはアビダルマの定義に関しても「仏説を集めたもの」から、「涅槃をもたらすもの」へと解釈を刷新した。具体的には無漏の智慧や、無漏の智慧をもたらすもの全般、いわば論師たちが作った『婆沙論』のような「正しい解釈の集成である」教科書をもアビダルマと呼ぶようになったのである。現在のアビダルマ研究の多くが論蔵ではなく蔵外文献を研究していてもアビダルマ研究を名乗っているのはこの新しい解釈に由来する。

このように、毘婆沙師たちは『婆沙論』において、仏説から合理性に舵を切ったのである。

『倶舎論』を巡る二つの立場の対立

この毘婆沙師たちの合理性への偏向は無批判に許容されたわけではない。5世紀頃に世親という著名な論師が『阿毘達磨倶舎論』という有部哲学の綱要書を著した。本書は表向きには毘婆沙師たちの教義をまとめたものである。しかし、世親自身は毘婆沙師たちの合理性を重要視し、経典を軽視する傾向に対しては納得していなかった。彼は経典を重要視する経部(経典に立脚する者たち)という立場にたち、毘婆沙師たちによる一部の行き過ぎた教義に対しては「伝説(kila:日本語に訳せば『~らしい』といった語感であろうか)」の語や対案となる異説の紹介を付加し、密かに自らの不信を表明した。

これに気が付いた毘婆沙師たちは激怒し、衆賢(サンガバドラ)によって『倶舎論』を毘婆沙師にとって正しい形に訂正した『阿毘達磨顕宗論』が著され、そこでは「伝説」の語や、世親の対案はすべて消去された。

この話はここで終わらない。最近の研究では、真諦三蔵が6世紀に漢訳した『倶舎論』が、実は毘婆沙師にとって不適切な記述の多くを修正した『倶舎論』であったことが、対応する梵文資料の発見により明らかとなった。つまり、当時の毘婆沙師たちは、著者性のあるようなアビダルマであっても誤った記述や不適切な記述があれば、修正を行っていたのである。

ここでも毘婆沙師たちの立場は、先のアビダルマの変遷の際の立場と一貫している。彼らにとっては世親が実際に説いたか(史実性)ではなく、説かれている内容が理にかなっているのかどうか(合理性)を重要視したのである。それが史実であっても誤った内容では、無漏の慧は生じず、涅槃に役立たない。彼らにとってアビダルマ(涅槃をもたらすもの)であるためには、史実性よりも合理性、正しい内容が必要だったのである。

説一切有部におけるアビダルマとは、理論的に整合性のある正しい解釈を集めたものである。そして、それこそが涅槃をもたらすと考えられた。説一切有部のアビダルマの歴史とは、涅槃のために、より合理的な解釈を追求し、教えや解釈を更新し続けた歴史なのである。

学術雑誌『対法雑誌』が近年発刊されるなど部派仏教研究が盛り上がりを見せています。この分野の新進気鋭の学者による、研究の現状と展開についての「論」を5回掲載する予定です。

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