神奈川の仏像をめぐって(2/2ページ)
神奈川県立歴史博物館学芸員 神野祐太氏
奈良国立博物館で展示されたことがあるが、神奈川県内の博物館施設で展示されたことはなく、今回が初めてであった。展示の最初に配置したこともあり、多くの人の目に留まったのは展覧会担当者としてとてもうれしかった。製作年代については奈良時代、平安時代、鎌倉時代と様々な可能性があることに気づかされ、いずれも決定的な決め手がない。今後の議論のきっかけになっただけでも開催した意義があったと思う。
龍峰寺の地元海老名市の温故館と連携をとれたことも大きかった。地域の文化財に関心を持ってくれた人がたくさんいることを、展覧会を通して知ることができた。龍峰寺の3月17日の御開帳時(コロナウイルス感染症のため縁日は中止)に久しぶりに拝観したが、まだまだ謎は深まるばかりである。
なお、21年には横浜市歴史博物館で、「横浜の仏像―しられざるみほとけたち」が開催された。こちらもこれまでの文化財調査の成果を交え、横浜の飛鳥時代から室町時代までの仏像史がたどれる見ごたえのある展示であった。
まだ紹介されていない地域の仏像の展覧会も計画していきたいと考えている。
近年、発掘調査が進んだことで、地方の古代寺院や官衙の研究は飛躍的に進展している。それは神奈川県も例外ではなく、飛鳥時代後期の7~8世紀に建立された可能性がある寺院として影向寺(川崎市)、宗元寺跡(横須賀市)、下寺尾廃寺(茅ケ崎市)、千代廃寺(小田原市)が知られる。古代の官衙では武蔵国域の橘樹郡家(川崎市)、都筑郡家(横浜市)、相模国域では相模国府(平塚市)、高座郡家(茅ケ崎市)がある。その中で、神奈川県の彫刻史は、箱根町・箱根神社の万巻上人坐像から語られることが多かった。それ以前の仏像として、横浜市・龍華寺の乾漆造菩薩坐像が知られるが、他地域から持ち込まれたことが指摘されており、地域の中で位置付けるのは難しい。
私は近年の考古学と文献史学による古代寺院の研究が大きく進んだことを契機に、すでに知られている出土品の仏像に注目することにした。神奈川県内では千代廃寺から塑造の螺髪が13点、その他の塑像の残欠が出土していることが知られる。螺髪があるということは、如来像が存在した可能性が高いことを示している。その仏像が飛鳥時代後期から奈良時代初頭にかけて造られた可能性がある。
また、横浜市・松蔭寺に伝来した銅造如来坐像は、1947(昭和22)年にその存在が知られるようになったが、彫刻史上の位置付けは定まらず、模古作と位置付けられることもあった。伝来がよくわかっておらず、小像のため移動が容易であること、そして、古代の東国に飛鳥時代の金銅仏が残っていることがとても珍しいことと考えられてきたことが大きな要因であっただあろう。しかし、その様式や構造から素直にみれば、飛鳥時代の仏像とみても十分であった。そこで、伝来について調べてみたところ、もとは近くの八幡神社の御神体として祀られていたことがわかり、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』にも記載されていることがわかってきた。
千代廃寺の塑像残欠と同じように、地方古代寺院研究の進展によって、具体的な東国の寺院の様子がうかがえるようになってきたことで、神奈川にも飛鳥時代の仏像があっても何らおかしくはないということが徐々に明らかになってきている。
鎌倉が神奈川の仏像史の中心であることに異論はないと思う。しかし、相模川流域やその他の地域にも魅力的な仏像はたくさん存在する。また、神奈川県に飛鳥時代や奈良時代の仏像が存在した可能性もある。悉皆調査の成果を基礎としてこれまで知られている仏像の再評価や新たな位置付けが進むことで、従来とは違った視点で神奈川の仏像史をとらえなおすことができるのではないだろうか。これからも県内の仏像調査に関わりながら、仏像を通して地域の歴史について考えていきたいと思う。