ブッダの語るシンプルライフ(2/2ページ)
大谷大教授 山本和彦氏
ブッダは食物に対して知足を多く語っており、過食を戒めている。つまり腹八分目の推奨である。その理由は三つある。第一に食物は欲望の対象であり、第二に大食は健康を害するからであり、第三に大食は瞑想の敵であるからである。
心は智慧によって満足するのであり、欲望によっては満足しない。知足は衣服やお金に対しても言われている。「たとえ貨幣の雨が降るとしても、欲望が満足することはない」とブッダは言う。
人間関係はシンプルライフの要である。『スッタニパータ』第一章「蛇の章」のなかの第三節「犀の角」では、ブッダは犀の角のように独りで歩めと言う。妻子は執着の原因であるので、妻子も父母も捨てよとブッダは言う。在家の生活にはいかに欲望や執着の対象が多いことか。ブッダは在家者に対して、それらをすべて捨てて出家者になるように勧めている。
また『ウダーナ・ヴァルガ』第25章「友」では、悪い友と付き合わず、善い友と付き合えと言われている。この章では、どのような人と友として付き合うべきでないのか、もしくは付き合うべきなのかがテーマとなっているので、在家者に対して語られているようである。ここでの悪人とは信心のない人、ケチな人、二枚舌の人、他人の不幸を喜ぶ人である。善人とは信心のある人、気持ちのよい人、素行のよい人、知識のある人である。さらに、善人はすべての苦しみから逃れられる法(ダルマ)を知っている。
ブッダは在家者に対しては悪人と付き合わず、善人と付き合うように言う。そして、人間関係をすべて断ち切り、出家して修行するように勧める。
古代インドでは四住期という人生を四つに区分する生き方が理想とされていた。学生期、家住期、林住期、遊行期の四つである。学生期では、学校に行き勉強する。家住期では、仕事と家庭を持ち家族の生活を守る。最初の二つの住期では物質的繁栄が目的である。生きていくための手段を身につけ、飢えないように生活する。
林住期では、仕事と家族を捨てて、人間性、精神性向上のために努力する。家族を捨てるというのは、子から自立するという意味である。家族と暮らしていた大きな家は処分する。仕事は定年し、年金で少欲知足、つまり欲を少なくして、足るを知る生活をする。もう一度、大学へ入学するのもいいかもしれない。小さな別荘で林住するのも、特別養護老人ホームで林住するのもいいかもしれない。役所、病院、スーパーマーケットなどへ徒歩で行ける平坦な市街地の小さなマンションで林住するのが現実的である。小さな庵(マンション)で暮らすので、荷物は処分する。ついでに物欲も捨てる。
遊行期は、解脱を目的とする宗教エリートの道であり、出家修行者の住期である。定住せずに放浪し、瞑想し、煩悩を滅し、苦を滅し、死を待つ。われわれ現代人には無理な住期である。実際には『地球の歩き方』を持って地球を遊行するのもいいかもしれない。古代インドでは寝込んで死ぬという発想がない。いまの日本の高齢者の現状と比べてみると驚くべきことであると同時に、うらやましいことである。
最後の二つの住期では精神的繁栄が目的である。欲望という煩悩を捨てる努力をし、苦を滅する。
シンプルライフは簡素な生活(パーリ語サラフカ・ヴゥッティ)のことである。知足、小食、シンプルライフすべてをブッダは次のように言う。「知足、小食、雑用少なく、簡素な生活、感官を欲望に向けず、賢明で、傲慢でなく、他人の家の食物に執着しない」(『スッタニパータ』)、このような人が目的達成者(涅槃者)である。これは出家修行者に対してブッダが語った言葉であるが、在家者にとっても理想とすべき生活である。