仏教や日本の祭礼を描き続ける水墨画家 傅益瑶さん(77)
中国と日本、両国の文化や歴史、芸術への造詣を深めてきた。その傍らには常に父の言葉や教えがあり、多くの師との出会いを経て、自らの水墨画の技法を確立。東京都立川市にアトリエを構え、日本各地の祭礼行事を題材とした作品の制作や寺社への襖絵・障壁画の奉納をライフワークとしている。
佐藤慎太郎
延暦寺や永平寺など各地の寺社に絵を奉納されていますね。
傅 最初に縁あって襖絵を奉納したのは1987年、長野の天台宗のお寺でした。そこから、後に天台座主となる北向観音常楽寺(長野県上田市)の半田孝淳さんと出会えたことが大きかったです。私もよく知る中国の高僧と交流があったこともあり、すぐに仲良くなりました。
常楽寺に奉納する絵は襖4枚に及ぶ大作であり、20時間ぶっ通しで描き続けて夜明けには完成間近でしたが、ふと全体が散らばっているような違和感を覚えました。
半田さんに誘われて朝の護摩に参加しながら、心の中で父にどうしたらよいか問い掛け続けました。戻ると突如、山々の連なりをつなげるように配することを思いつき、作品を描き上げることができました。
私は仏教の精神に通じるものしか奉納する絵には描いてはいけないと考えていて、だから仏教の歴史かそのお寺を囲む風景を題材とします。美術館や展示会で鑑賞するものではありません。お寺に入る人の心の動きや心拍数は普段とは違います。それに合わせて描かなければ意味がないのではないでしょうか。
また墨絵は禅の精神から生まれたものでもあります。「墨に五色あり」といわれますが、それは宇宙の全ての要素がそこに含まれているという意味と解しています。墨の濃淡のことではありません。絵を描くことに命を懸ければ、そこには全てが含まれるのです。
父親の傅抱石氏との思い出は?
傅 父は私が18歳の時に亡くなりましたが、今でも絵を描くときには常にそばにいるような気がします。父は作品に取り組む際、他人を寄せ付けませんでしたが、家族として私が一番そばにいることができました。父の言葉をたくさん覚えていますし、今では中国でも誰もまねすることができない父のテクニックや筆のタッチをまねできるのは私くらいだと思います。
「師を拝する人生が大切だ」との言葉が印象的です。良き友も恩師も天地自然もまた師であり、私は師に恵まれた人生を送ってきました。
父も日本の帝国美術学校に留学した経験があり、…
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