虚飾排する大切さ実感 視覚障害者に地理授業
静岡市駿河区 日蓮系単立妙音寺 丹治達義前住職
日蓮系単立妙音寺(静岡市駿河区)の丹治達義・前住職(45)は、視覚特別支援学校の社会科教諭でもある。目の見えない、見えにくい生徒と接する中で、虚飾を排し本質を伝えることの大切さを感じている。
担当する地理の授業では地図やグラフを使うことが多い。一般的な地図には県境や鉄道、山、川などが重ねて描かれるが、視覚障害者用の触地図は情報が絞られる。指で触って分かりやすいよう国境、県境だけ、山と川だけといった地図を作り、生徒はそれぞれのイメージを頭の中で合成する。
丹治前住職は筑波大で文化地理学を学び、立正大で僧階単位を取得。地理教育学を専攻していた筑波大大学院在学中、たまたま求人があった視覚特別支援学校に就職した。目が見えないと画像から情報を瞬時に得ることができず、特に地理教育では大きな障壁になると思われるが、実際に教壇に立つ丹治前住職は「教えることに変わりはない」と言う。
他教科では美術の時間は絵画でなく、彫刻を触って鑑賞したり制作したりする。仏像も許可が得られれば触って学ぶことができる。しかし日蓮聖人の曼荼羅本尊は平面。もし自坊で目の見えない人に曼荼羅本尊を伝えることになったら相当に困難だと想像する。
「文字に凹凸をつけて全体像を感じてもらったり、諸仏を点字で記したりすることはできる。でも漢字を見たことのない人に意味は伝わらない。一つ一つ時間をかけて説明していくしかない」
視覚特別支援学校教員の研究会の折、自坊を会場に仏教体験会を開いたことがある。見える人も見えない人もいたが、見えない人からよく聞かれたのが法具や所作の意味だった。
「例えば焼香するにしても、作法より何のためにするのかと問われる。目が見えない人にとって香を焚く炭はやけどの危険があり、目的を達せられるなら、ほかの方法はないかと当然考える。僧侶は行為の目的を説明する必要があり、それは教えの本質を考えることになる」と話す。
丹治前住職は視覚特別支援学校で教えるようになってから、虚飾を排するようになったという。「目の見えない人の前でいくら外見を飾っても意味がない。見られているのは内面」。現在、僧侶仲間と視覚障害者を寺に招いての勉強会を計画している。「当たり前の行為を一つ一つ考え直すきっかけに」との思いだ。目が見えないからこその視点を通じ、本質を見極め僧侶のあるべき姿に立ち返ろうとしている。
(有吉英治)