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トップ> 涙骨賞受賞者一覧リスト> 第12回「涙骨賞」受賞論文 日本学術振興会特別研究員 栗田英彦氏
中外日報社主催第12回「涙骨賞」最優秀賞論文(要約)

2016年5月27日付 中外日報

岡田虎二郎の思想と実践―越境する歴史のなかで(下)

日本学術振興会特別研究員 栗田英彦氏

前回、岡田虎二郎の思想的根底に明治哲学の倫理的宗教論とエマーソンの影響があることを確認した。ここでは、いかに静坐法がこれらの思想と関係し、さらには当時の主要な政治思想と切り結んだのかを論じる。

岡田式静坐法の誕生

岡田は渡米前から熱心に冷水浴を実践していたが、これは伝統的健康法というより西洋医学に由来するものだった。初期の推奨者である帝国大学医科大学(現・東大医学部)教授・佐々木政吉は、冷水浴による個人の身体的・精神的・道徳的な向上を、国際的な生存競争のなかでの国家や民族の発展と結び付けて正当化した。それは当時の国際情勢の反映であるとともに、欧米で広く普及していた社会進化論を踏まえた「科学的」な見解でさえあった。

こうした認識は多様な身体鍛錬法の国際的流行を生み、20世紀初頭には「フィジカル・カルチャー」と総称された。その代表的なものに、民間体育家ユージン・サンドウの鉄アレイ健康法があり、日本にも嘉納治五郎の造士会による翻訳で紹介されている。岡田は滞米中に二度もサンドウに会うほど関心を持っていた。しかし、彼は人工物の鉄アレイは用いず、冷水浴にこだわった。

渡米中に友人に宛てた手紙のなかでは、「社会」的な生存競争ではなく、冷水浴を通じて「宇宙」的な生存競争に猛進すると熱弁している。ここにはエマーソン的「自然」の訓育と社会進化論的フィジカル・カルチャーの融合を見ることができよう。さらに興味深いことに、釈迦やキリストも冷水浴を実行し、万物はこれによって生ずるとまでいう。倫理的宗教論的前提は、冷水浴による健康増進に宗教的な意味さえ与えていた。

岡田が冷水浴から呼吸静坐法に移行した要因はいくつか考えられる。冷水浴に深呼吸を促す効果が言われており、ここから呼吸法に至った可能性もある。民間体育家にもサンドウを批判し、横隔膜呼吸によって内的な筋肉を鍛えるべきだとするものも現れた。

さらに、当時のアメリカで流行していたニューソート運動も重要である。これは、エマーソンの思想と催眠療法家の実践を源泉として19世紀に始まった潮流であり、一元論的で善なる宇宙精神(=神)と一体になることで心身の救済を得ようとする。この実践に呼吸法が用いられることがあり、代表的なものにヨギ・ラマチャラカ(アメリカ人ウィリアム・W・アトキンソンの偽名)のプラナ呼吸法やエリザベス・タウンの太陽神経叢呼吸法があった。

これらの著作に、国内の仏教知識人がいち早く注目した。加藤咄堂や杉村楚人冠(1872~1945)らは、それらを翻訳して東西の呼吸法の比較研究を行い、江戸期の禅僧・白隠の呼吸法が横隔膜呼吸法と、「丹田」が太陽神経叢と同じだと論じた。さらに、催眠術から独自に展開した日本の民間精神療法でも、パイオニアである桑原俊郎(1873~1906)を始め、呼吸法を用いるものが少なくなかった。

帰国した岡田は、患者に仰臥呼吸をさせたり、患者の前で静坐して病気を治したりしたが、類似の方法は杉村や桑原の著作に見ることができる。実際、初期の弟子もそれを「催眠術」の類だと思っていた。

ただ、民間精神療法では「気」や「精神」の概念を説明に用いたが、岡田は身体の「重心」の安定を重視して「丹田」をその中心と見た。そして、それ以上の機序や由来については沈黙し、端的に静坐の姿勢は「自然法」に一致するとした点に独自性がある。門弟が増えるにつれて岡田は他者治療をやめ、静坐指導に専念するようになる。岡田式静坐法の誕生である。

岡田虎二郎の政治思想

岡田の帰国前後は日比谷焼き打ち事件(明治38年)や大逆事件(明治43年)などがあり、政府と国民の対立が露わになっていた。こうしたなか、岡田は民族的課題として、「個人主義と国家主義の調和」による「理想の国」の実現を主張した。ここでは、彼の「デモクラシー」概念と国家論を検討して、それと静坐の関係を明らかにしたい。

岡田の「デモクラシー」は、直接的に普選運動や護憲運動でもなければ社会主義運動でもない。そうではなく、運動を担い、理想を実現しうる人間を作ることを意味していた。それは「自主独立の人間」であり、「乞食をしていても愉快だ」と考えられるほどに何も執着しない人間であった。

これを岡田は「個人主義」と呼ぶ。ルソーも『社会契約論』で、民主政の前提に人民の「徳」の必要性を認め、その徳とは「古代の人民の堅実さ」と「近代の人民の従順さ」の両立だとした。こうした人民を育てるため、ルソーは『エミール』を書いたと岡田はいう。

『エミール』の主張は、社会制度の干渉を退けて本来性を引き出す「自然教育」と道徳的義務に従う内面的信仰を説く「自然宗教」を、子供の発達段階に応じて施すことである。岡田にとって、これは「自然」の訓育と倫理的宗教に対応する。岡田式静坐法は、デモクラシーを担いうる人間を育てるものだったのである。

とはいえ、岡田はプラトンの『国家』に「理想の国」のモデルを見ており、多数者支配としての民主制を支持していたわけではない。つまり、一種の哲人独裁を理想としていたのである。岡田がエリート層をターゲットにしていた理由もここにある。

プラトンが哲人を育てるために採用した哲学的問答法に対応するものが、岡田にとっての静坐だった。それゆえ、軍人や教師などの支配者・指導者みずからが静坐によって修養すべきで、被支配者に強制するものではないと考えた。「静坐で霊智霊能を引出す、その力が愛となって人を活かせよ、決して静坐のまゝで宣伝するな」と戒めており、人を導くためには、静坐の形式を強要するのではなく、非言語的な「力」(愛)によるべきだという。岡田自身も求める人以外に静坐を教えなかった。

こうした不可視の「力」は、実際にそれが働くことでしか実証されない。新宿中村屋の相馬黒光は、岡田の後をいつも大勢でついて回る弟子たちを見て、「ちょうどキリストのみあとに従う弟子達の光景を髣髴させるものがありました」と回顧している。このような現象が、「自然」の共同体を生み出す「力」の存在を岡田にも弟子にも確信させていたのではないか。

岡田のいう「理想の国」は、まさに静坐を続ける岡田自身の肉体が生み出す重力によって保証されるものだった。それゆえ、大正9年の岡田の急逝によってその保証は失われ、静坐法の新たな意味づけが模索されることになる。

おわりに

以上のように、岡田虎二郎は、同時代のトランスナショナルな思想潮流に大きな影響を受けてきた。これらの思潮は、大規模に展開するメディアの流通と人間の移動が生み出した、きわめて近代的な現象である。

この潮流は文化や言語のグローバルな翻訳可能性を前提に、比較や類比を通じて情報を特定の時空間から引き離して新たな関係を再形成し、終わりなき差異と反復を繰り返す。こうして形成された言葉の網は、あらゆるものを相対化しながら広がり、岡田式静坐法でさえもその結び目のひとつであった。

しかし、そのなかで、岡田は沈黙によって言葉の網の目を切断し、身体技法の実践による非言語的な「力」を権威とする、新たな共同体を形成しようとした。岡田式静坐法の運動は、彼の政治的実践でもあったのである。岡田の思想と実践には、現代の瞑想法ブームを考えるための多くのヒントがある。

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